日本語を学ぶ人たちに教えるのが私たちの仕事だった


その1「不吉な暗示」


私は気づいていなかった。しかし、心の奥底では本当は気づいていたのかもしれない。むしろ望んですらいたのかもしれない。もう一度この仕事を選び直すことが、引き返せなくなることでもあることを。生涯の基本的なカタチが、このときの選択によって決定的なものになってしまうことを。


山奥の職場となる日本語学校への面接に向かう途中で、人間に迎えられるより前に、山道を登りながら私が見たのは野ざらしになった犬の死骸だった。頬の骨と肋骨が露出し始めていた。黒毛の野良犬の末路を見た。我が輩は、道の曲がりの窪みの草むらにて果てたり。汝の前途を骸となりて祝福せんかな。犬は私にそのように語りかけるようであった。あいたあ、犬くん、これがほんまの犬死ですがな。身をもって、おれの前途を象徴してくれているのかい。わざわざすまんね。


コピーライターの仕事を一年やって資本主義のことはもう分ったし、今の狂乱の好景気ももうそろそろ終わりが見え始めており、私は地道な仕事を探し初め、そしてすぐ以前の古巣の日本語学校の年長の元同僚の下で専任講師としてやってくれないかとの要請を受けたのだった。場所は広島県の郡部だった。大阪で5歳から30歳まで住み続けた私にとって田舎暮らしは、のんびり小説でも書いてやろうという気がなければ選択肢に入るはずのないものではあったが、一応、普通は日本語学校経営の主体にはならない規模の造船会社がスポンサーであり、地方に人を呼ぶためのいくつかの好条件が、大阪の「そこいらの日本語学校」の待遇を越えていた。


新大阪駅から広島の福山駅まで、つまり中四国では岡山に次ぐ第3の都市まで、所要時間は早ければ約二時間半。音もなく新幹線ひかりは停車して、私はついに自ら己の意思で持って島流しの刑に会うようなつもりで駅に降り立った。別に悪いことはしていないはずだが。そして、また特に良いこともしてはいなかったが。


駅の南側が正面出口で、左手に人の頭の高さぐらいの台があった。台には黒ずくめの釣り竿を前に水平に伸ばした男の像があった。昔風のてっぺんのとがった編み笠をかぶり、腰蓑をつけている。人呼んで釣り人。で、いまだにその由来を知らないが、以後、ここで何度も何度もいろんなひとびとと待ち合わせをすることになるポイントである。さらにバスで小一時間山奥へ行かなければならないのだが、時間があるので、コーヒーでも喫することにして、駅前のバスターミナル横の歩道をぶらぶら南下した。信号だ。赤から青に変わって、歩き始めた。そのとき、周辺の違和感に身体が反応して一瞬竦んだ。向かいで待っていたおばさんたち、おじさんたちが立ったままで渡り始めていない。まだ赤なのに歩き始めたか?!と思っているときにようやく、彼らは歩き出した。なんのことはない。のんびりしているのだ、この辺の人は。文化の相対性理論によれば、おれがせっかちなだけだ。その後のバスの車内でも、おばあさんが、わたしをわくわくさせたものだ。ある停車場で、バスが停車した。おばあさんはよっこらしょとゆううっくうりたちあがり、亀の歩みでワンマンカーの全部へ。たどり着いて財布の小銭をじゃらじゃら探し、ステップを一段一段慈しむかのように、一段おりてはなにかの思い出に浸るかのように休み、時間をかけて降りていった。最後に「ありがとうね」小津安二郎の映画で聞いた尾道弁のようなアクセントだった。考えられへん、考えられへん、大阪ではその一部始終が、目にすることの決してできない光景だった。あってはならんことが、ここでは当然。あんなばあさんがおったら、きっと怒鳴りだすやろうな、大阪のバスの運転手。


二月の山の中は、温暖な瀬戸内気候でもあり気温こそ厳しくはなかったが、広葉樹の葉は落ち尽くし、枯れ草が倒れまくり、犬の死骸こそふさわしくいかにも寂れた雰囲気であったが、校舎に入った時点で、陰気臭さはふっとんだ。学校で私を出迎えたご老体の校長先生は、年中非常事態宣言発令中のような方だった。あいさつを終えた私のことを招請した主任が、つまり、ここで私より先に半年勤めた元同僚が、いきなり「小説を書いているのですのよ」なんて安易な個人の秘密の暴露をやって私の機嫌を無理矢理に傾けようとする中、「一匹狼もええがのう、まあ、ここに骨を埋めるつもりでがんばってみてつかあさいや。あんたさえ、よけりゃ採用したいとわしゃ思うとるけん。主任のNさんがええいうんじゃけん、それは信じとる」言い募り、にじりより、顔が際限なく近づき、退いても退いても、陽焼けした皮にしわの刻まれた顔は決して10センチ以上は離れてくれないかのようであった。事務長が「まあまあ、校長せんせえも、来た早々の人にそんなに迫らんでも、まあまずは座らせてあげなさい」と言って校長を落ち着かせるのであった。「骨を埋めたくてもこちらの山の神様が受け入れてくれますか」お世辞にもなら世迷い言を吐きながら、ぼくは、3年ぐらいはここでもええか、その間に節約していくらか貯蓄して、日本語教育についてノウハウをしっかり身につけたら、タイかどっか好きな国へ行ったろ。そんなことを考えながら、校長の車に乗せてもらい、住むことになる社宅や温泉、美術館、遊園地などの施設を案内してもらった。


・・・なああんて感じで。


ええ、皆さんは小説やエッセイで、あるいは映画、テレビで、
群像ドラマだとか、職場、学校などが舞台のドラマで、よかったと思うものはなんでしょう。
それから、異文化交流がテーマになっている作品でよいのがありましたら教えてください。
よい作品にするためにするために参考にしたいので。


よろしく、お願いします。