誤読の自由の空虚から、誤配の不自由を生きる手応えへ 「ゼロ年代の想像力」

みなさん。   こにゃにゃちわ、なのだ。


今日は昼間は、以前勤めていた学校で知り合った日本語教師お二人といろいろと仕事の近況などを話しました。それぞれの勤め先での近況を聞いて、わたしも学校での日本語教育の現場の感覚を思い出しました。プライベートの生徒さんに起きている学習過程とは、かなり違うものでありますから、現場を離れて鈍った感覚をすこしは取り戻す縁(よすが)となりました。感謝しております。



それから、宇野常寛という人の「ゼロ年代の想像力」という本を読んだ。帯にあがっている取り上げている作品群タイトルを見て、なんとなく敬遠したい気持ちになりつつも、立ち読み段階で読んだ箇所の「問題設定」がしっかりとしていて、わっしにも分かりそうな内容だったので、これがこの夏休み最後の寄り道ぞ、と自らにいい聞かせつつ購入しました。


<誤読の自由の空虚から誤配の不自由を生きる手応えへ>向けて励まされる内容であった。今後十年くらいは、これで生き延びられるかもな、くらいの説得力のある展開でした。わたしと同年代の方にも勧めたい良書としてご紹介するものであります。


同業者の日本語教師の方々にも、勧めます。現在のサブカルチャー全般の批評を通して、社会状況の本質の洞察にまで至る手がかりを示しているとわたしは思いました。


年代や、性差、異文化(日本文化圏内のサブグループ的なものも含む)などのギャップに戸惑ったり、憤ったりしている方にもお勧めです。


おじさん(+わたし)が、胸の内でも、評価すべきかどうか、つらい思いをしながら、オンエアー時にリアルタイムで見ていた珍しい作品、『交響詩エウレカセヴン』が、わずか数行で、欠点の指摘と、おじさんにだけは受けた作品と言う扱いで取り上げられていた。いまだに悩むみつつ、数回は見たのだが、なんだか魅力を感じるのは、わっしがおじさんだからなのか。欠点も多いが魅力のある作品の場合、普通は欠点が気にならない者だと思うのだが・・・。このアニメは、不満と魅力がごちゃまぜなのだ。


「今時の流れ」についていかなくなって二十年ぐらいは軽く超えているので、こういった批評でなんとなく「感じ」だけつかんでいるわけのものだが、よくできた作品案内として、有効活用できるものでもあろう。実用目的で,読んだという一面もあって、いくつか本屋で手に取ってみようという作品はある。しかし、TVドラマまでは見ないような気がする。