そう、あれはぼくがまだ本当に若い頃だった。姫路の難民定住センターで、はじめて日本語のクラスを担当した。授業の、特にテクニック的なことはもうほとんど何も覚えていない。覚えているのは断片的な、当時の私の眼にはもの珍しく映ったことだ。 教室には、…
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