大きな誤解を生む間違いをしてしまいました

私は日本語体系に欠陥があるなどとは露程も
思っておりません。そうではなくて、日本語
教育の教科書とそれを用いた教育システムには
重大な欠陥があると思っているのです。


もとより、なんらかの言語体系に欠陥や弱点などが
あるという発想すら持ち合わせてはおりません。
たとえ、既に滅びた言語体系であっても、
あるいは今現にその言語の話者が一人しかいなくて、
その一人の他界とともに永遠に地上から失われてしまう
言語体系であっても、
今多くの人に生きて使われている言語と同様に価値の
あるものだと思っております。


なぜなら、それぞれが他の言語にはない固有の宇宙観なり
世界観を開くものであるはずですし、身体の深部にまで
浸透した世界感覚も、その言語に固有の様式で、その言語の
話者と世界をつないでいたはずのものですから。


かつては、沈黙の多様な意味をも含む言語の運用が
コミュニケーションの様式として生きており、
むしろ、言語というものを
コミュニケーションの不完全な一部ととらえる感覚を
共通の基盤として持っていた
と思われる言語体系の一つである
日本語およびその文化圏を
自分の文化的アイデンティティのひとつとしてカウントする
私としましては、
沈黙に対立し、
その意味を時には台無しにしてしまう場面では、
ヒトの脳に、人類個々の意識に、
言語装置がそなわってしまっていることそれ自体が
邪魔になりうるということはよくあると思います。
そういう感覚を手探りで求めてもいるとは申せましょう。


とはいえ、その不完全な言語で世界を捉え直そうとする小説家に
憧れていた/いるとは、これまた矛盾をはらんでおりますが。


さて、長くなってしまた前置きが終りました。


二つ前の記事の英文タイトルからeducation
の単語をいっこ落としてしまったために
ほうっておいたら
日本語運用生活者全員を
敵に回すことにもなりかねない
あほなことを書いてしまっておりました。
日本語教育業界ぐらいは敵に回してもかまいませんが、
日本語運用生活者全体を敵に回す気はなかったのでした。


想像すると、それはそれで面白そうですけど
筒井康隆風の小説にしてみたいようなアイデアですが
もし現実になったら耐えきれんでしょうな、ははははは。


間違っておいて
ふざけてしまっておりますが
もし、不愉快な思いをした方がいらっしゃいましたら
申し訳ありませんでした。
あっちのホームページではちゃんと遺漏なく
書いておりますので。


つまらないことで、一日分の記事を埋めました。
それではみなさん、ご機嫌よろしゅう。