久しぶりの更新です。

八月までは日本語学校でクラス授業と
主任として講師の育成にあたっていたのが、
日本語教育の仕事のメインの仕事でしたが、
今では日本語教育関連は一対一のプライベートの
レッスンだけ、
あと語学教育に関係のあることとしては、
時間があるので、自分自身の英語のレベルアップ
とご近所のお子様相手に英語を教えている、
そんな状況の今日この頃です。


ようやく英字新聞の広告掲載が今日実現にこぎつけ、
その後を受けて、
以前からこのブログをご存知の方は講習会は結局
やらないのかと残念にお思いの方もいらっしゃる
かと存じますが、プライベートのほうがもう少し
軌道に乗ってくれば、講習会にも手が回るように
なると思います。


現場から離れているので、勘が鈍らないうちに着手
しなければいうけないとは考えているのです。


最近気がつき始めたのですが、
プライベートレッスンは同じ日本語教育と言っても、
料理に例えるなら、学校給食と入院患者用
個別食ぐらいちがいます。
気がつくのがちょっと遅いです。


日本語学校では一日4こまから5こま、学生の学習を
こちらが主導権を握って指導できるので、メニューの
よしあしとその運用次第ですが、
プライベートは、学習者と接触できるのは週に一回60分
だけで、残りの生活時間のいくらかをどれぐらいどのように
日本語の学習に使うのかは、あるいは使えるのかは、それこそ
千差万別です。


ですからまず第一に、プライベートの講師はリモートコントロール
の技をみにつけなければなりません。最初の約束も大切です。
学習者の個性が良いところも悪い所もそのまま
学習の成果に反映されるようでもあります。


クラス授業だと、平均値にまとまる集団力学が働いてくれる、
そんな作用が確かにあったと振り返って改めて感じます。
そうまで言わなくても、分からないことや一人でやっていたら
その人のセンサーがまり働かないことにでも隣りの学習者の
理解がきっかけになることも、当然起こっていたことでした。


教師の立場からのわがままな言い方をするならば、
できる相手ならばその良さをさらに延ばす事ができるのだが・・・
とつい漏らしたくなります。
と、ここでこぼしております。


また、プライベートではレッスン時間が限られているので、
かなり鳥瞰的な内容の情報伝達を中心に進めなければならないよう
でもあります。


たとえば「みんなの日本語」を端から順番になんてのは成立しません。
ま、それをやりかけていたのですが、なんとか違う方法を編み出しつつ
あります。買わせてしまった「みんなの日本語」を無駄にせずに。




実際、ここのところ、このブログのウリである日本語教育関連の
ことで、私は行き詰まりを感じていたようです。それも、無意識下で
しか認識しておらず、人類大丈夫?ネタとか、英語学習に集中して
他はすべて忘れてしまうような逃避的なやり過ぎをしていたようです。
程よくならば英語学習は継続すべきであるとは思っていますが。
1月TOEIC受ける申込もしましたし。
申し込んだその日に、斯界の権威の本を立ち読みしていたら
英検を受けるべきで、TOEICでは実力つかないよと書いてあるのを
発見してしまいましたが。見なかった事にしております。


このブログの書き手としては、これまで日本語学校での授業を前提に
進めていたのに、がらっとプライベートの話しになることが受け入れがたい
と、これもはっきりとではなく、漠然とそう感じていたのが、実際には
書けない状況にはまっていたのですな。
今は仕事上プライベートレッスンを第一に考えてやっていかなくてはなりま
せんので、そうも言ってられない状況です。
このブログの復調は、その事を自分が認めることにあるだろうと今、
こう書きながら、そう感じ始めております。


よく、やるべきこと、できること、やりたいことを整理しなさいと言いますが、
知らず知らずのうちにずれていたようで、修正しつつある模様です。


最後に個人事業主として三ヶ月で気がつき始めた事ですが、
勤め人としての業務と勝手が違うのが、
仕事一個とるのも、広告一個出すのも、なかなか、
こうすればああなるだろうと思ってやっても思うようにいかない
日々で、それがまた日々の稼ぎに直結するような感覚なのです。
これはこれまで味わった事がなく、よく想像はしていましたが、
何とも言葉にしがたいものがあります。


そういうことも、平行して心のドラマとして起きていた、と
つけ加えておきます。


すみません、笑える箇所がひとつもありません。
この点ではまだ、復調とは言えません。


それではまた。