プライベートレッスンとクラス授業の違い

私は、どちらかというと大勢でわいわい騒ぐのは苦手なほうだった。
高校生ぐらいまではそうだった。


それが、塾のバイト、そして日本語教師としてのクラス授業をするように
なったときから、まず第一にエンターテイナーとして教師の仕事を
楽しもうと決めて臨んだ。ただ教えればいいというのじゃなく、
そのうえに楽しんでもらおうと思った。
私も、
生徒、学生の立場だったときにさんざん退屈な授業にうんざりさせられ、
もし自分がセンセイになったら、おもいっきり笑いあり感動ありの
授業をしてやるのにと思っていた多勢の中のひとりであった。


語学の授業なので、例文を提示するときなどは、演じ方を工夫して
笑わせたり、ちょっとした感動をもたらすことも可能である。
それはリアルな日常の人間関係ではなれない自分になれる
特権的な時間だったのだ。
エキセントリックな動作や表情や言動さえも、教育の名の下に
許されるのである、そのうえにお金がもらえる。もし、コメディアン
になりたい願望を心のそこに秘めている人がいたら、語学教師という
職業は穴場かもしれない。カラオケ好きが嵩じて人前で歌いたい向きも
文型や語彙の紹介にかこつけて、フルコーラスは無理でも、12小節
ぐらいなら、我慢して聞いてくれる。実際には何人かが、本気でしかめ
っつらになって、もう結構です、と必ずと言っていいほど言ったけどね。
それに対して、また別の学生が「わたしはもっと聞きたい」なんてかばって
くれたり、腐ってもスター、ほんの少しだけ甘えが通る世界ではあった。




何が言いたいか、お分かりだろうか。
プライベートの講師には、これは許されないのだ。
一対一の親密感のあるコミュニケーションにおいては。
しかも、
異なる文化的背景をしょって向かい合う二人、
ぶっとんだジョークはふさわしくない。危険でさえある。
スパイス控えめ、ぬるくなったスープくらいのでちょうどよい。


クラス授業では、一人一人の個性が見えにくく、学習成果の
でこぼこをよりきめ細かく個々のレベルでつかみたいと思って
いたのが、プライベートとなるとどうか。
クラス授業だったから、ああしかできなかったけど、○○くんには
個別にやれたら、こういうふうにしていたのにな、などという気持に
なったりしたものだが、それがどうなるか。


プライベートでは、
一人の学習者のこれまでの学習のミクロなでこぼこをより精密に
見抜いて、ほんとうにかゆいことろこを掻いてあげなければならない。
その時間、プライベートの生徒さんは、自分専用の執事を買ったのだ。
でこぼこのでこいっこいっこを知り、あそこのぼこ、ここのぼこに
対応して道をつけてやらなければ、「教えた」という結果を導きだす
ことにはならない世界なのであった。


これはもう柊先輩だったのが、突然黒魔法でセバスチャンになって
しまったようなものです。
あるいは千秋先輩が、あっ、・・・こっちにはセバスチャンにあた
る人物がいない!