日本語教師を目指すあなたへ

 日本語教師になりたい。あるいは、それを目指す前に日本語教師とはどんな職業なのか知りたい。そんな人のために、私は15年以上の現場の生活で自分が経験したこと、また、そこから考えた事を伝えたいと思い、この本を書く事にしました。さらに欲張って、現場に立つ事を目指していなくても、外国人に興味がある方、異文化交流に興味がある方など、一般読者が読んでも面白く読めるように配慮しました。執筆中は肩の凝らない読み物をひとつ仕上げる事を目指しておりました。(この文末は<未実現回顧による願望従属相、つまり、「まだ一行も本文を書いていないのに、書き終わった気持になっている相」です)
 したがって、専門的な事は他の著書にゆずることにして、特に私個人にとって、この仕事がどんな意義があったのか、そこを中心に話しを進めます。この職業の「人間的な意味」について、具体的なエピソードとともに紹介したいと思います。
 「人間的な意味」ということを言い換えると、ひとつは、仕事が私の生活を支え、その中心であり、また成長の糧になったということ、もうひとつは、人間観の変化や深まりということを含みます。もともと小説家にあこがれていたことや、大学で哲学を専攻したことなどから、そういったことを表現したい欲求を抑える事は、私にはできかねます。あしからず。すみません。さようなら。
 おお、残ってくれた皆さん、ありがとう。・・・では続けます。
 ただし、そのような趣旨で書きますから、専門的な内容に触れる必要があった場合も、一般の読者にも分かることに絞りました。ですから、日本語教師という職業の専門的なことに興味がないという方にも「読める」ものになっているはずです。反対に、教授法について詳しく知りたい、日本語教師として通用するためには文法はどの程度押さえなけりゃならないのか、それはまた、別の本を書きますから、そっちを読んでください。なにとぞ、よしなに。でも、ヒントくらいはは、こっちにもあるかもしれませんよ。
 日本語教師としての能力を公的な機関のテストによって計る「日本教育能力検定試験」は今年で18回を数えます。始まったのは、平成元年(1990年)です。私は、その一回目を受験し、無事合格できたのですが、実際の現場には一足早く、前年に行われた受験対策の講座の座長であり、講義もしてくださった先生の紹介で、姫路にあったベトナム難民定住センターの日本語教師として現場に立つ事ができました。以来十数年間、たくさんの日本語学校で教鞭を取り、この数年は教務主任として後進の育成にも力を注ぐようになっていました。
 熱くなった現場に巻き込まれ、仕事をこなし、もっと効果的な教え方はないかと目の前の学生、それから同僚のために動いているときは他のことを考えている余裕はありません。ところが、今私は、思う所あって独立自営の日本語教師として一歩を踏み出したところです。日本語教師として生き延びる新たな道を模索しているところなのです。この今が「日本語学校時代」の私の<人生>を振り返る良い時期だと思い、筆を起こした次第です。
        2006年12月3日 誕生月に入り、この年齢でこれか!と
        焦りだした日に・・・