代書屋稼業(あくまでフィクションです)


カウンターで、ひとしきり最近のパチンコについてぼやいていた福祉関係の仕事をしている常連が、重い腰をようやく上げた。夜勤までに間が持たないらしい、コーヒー一杯でずいぶん粘られた。これから、また懲りずに打ちにいきそうな様子だ。
「ほなまた来るわ。ここ置いとくし」
「ありがとうございました。勝ったらおごってください」
俺は常連でも、敬語での応対は決して崩さない。大阪で標準語の敬語はどうかとよく言われてきたが、長年押し通した結果なのか、時代のせいなのか、このごろはさほど言われなくなった。
残ったのはテーブルの若い男女2人連れ。コーヒーを飲み終えてもずっと座ったまま、水を勧めても礼儀正しく断っていたが、ほかの客が帰るのを待っていたかのように、ドアに付けたカウベルの音の止む間もなく、男の方が立ちあがって、近づきながらおずおずと言った。
「あのう、こちらは代書屋さんと聞いたのですが・・・」
うまい日本語だが、外国人ということは分った。
「ええ、そうです。看板にもそう書いてあります。変な名前ですみま・・・」
「パスポートの件で・・・」
俺は、やっぱりと思いつつ、慌てて咳払いをするのと同時に、人差し指を立て口に当てる合図で、黙らせた。いつなんどき、客が入ってくるかしれない。沈黙が重みを増す中、次の対応を考える。もしこいつらが、捜査員だったら・・・だとしたら、逃げようはない。しらを切るだけなのだが。血圧の上がるのが分る。胸が苦しい。
「紹介状はお持ちでしょうか」
「田中さんから・・・教えてもらったけど、紹介状はちょっと・・・」
「じゃ、奥のスタジオへ。お連れ様も、どうぞ。」
参るのは、最近こういう客が増えたことだ。半ば飛び込みのような、身元の確かでない客たち。もともと身元が確かではないのだが、俺のもうひとつの仕事は喫茶店と違って、厳しく客を選んでいかなければ危険なのである。


落語に出てくる代書屋は字の読めない人のために履歴書を書いてやる仕事だが、おれのやってるのはそんなんじゃない。パスポートの偽造屋だ。無論人には言えないから、一部の者にだけ分かる符丁を使って「代書屋」と称し、その筋からの紹介の客だけを相手にやってるウラ稼業だ。綱渡りの仕事だから、保険を賭けるつもりで、また、隠れ蓑として喫茶店もやっている。コーヒーの味だけは保障するが、ほかのメニューはあまり勧められない。客には、というか客の紹介者には、その筋が多いと言っても、俺自身は「組の者」いわゆる「構成員」ではない。特殊技術のおかげで組織の厄介にならなくても生き延びていけるわけだ。もっとも、危ない仕事や客を押し付けられたり、無理な注文になかされたりはしょっちゅうだが・・・。古い映画の、西部劇の酒場で、「Don't shoot the pianist,please」なんてポスターが貼ってあったりする。見たことないかな。荒くれどもの喧嘩が始まって、ピアニストが撃たれて死んじまったら、探し出すのは容易ではない時と所だ、後々面倒なので、荒くれ男たちもエキサイトしていても、命だけは助けてくれる。喧嘩が納まり手打ちの後に景気よく飲もうって段になって、音楽と女たちの歌や踊りがなくてはな、というそんな存在。その代わり、こわいお兄さんたちから見たら、この稼業の人間は「男」扱いはしてもらえない。俺はそれでもいいので、文句は言わない。張り合うつもりもない。プライドはあるさ。こう言ってはなんだが、そのへんの営業マンよりは稼ぎもあるし、危ない橋も渡り、それなりに肝も座っているつもりだ。それから、店には、わざわざ調律の悪いホンキイトンクピアノを買って置いている。お守り代わりというわけだ。


偽のパスポートをひとつでっちあげるためには、本物のパスポートが必要であるということはお分かりだろうか?無からなにかを創造できるのは神様だけだ。俺には神様のような腕はない。師匠はやってのけたが。凡人の俺ができるのは、せいぜいどっかのうっかり屋さんがどっかで盗まれ、どういうわけか俺の手元にやってきた本物パスポートに、ちょっとしたお化粧をしてやって、事情のある方の顔と文字情報を書き換えることだ。
「一人分で50万、2人だったら、サービスで90万にはしてあげられる」
「あのう、田中さんは2人で50万と・・・」
「おいおい。どこの世界にそんな。いやいやいや。ちょっと待って、田中さんに電話するから・・・いや、先に話しを聞いとこう。田中さんに、いくら払った」
「50万円」
「ここまで来てそんなこと言われたら、非常に迷惑なんだけどね。分かる? 分ってくれる。分らないの?説明しようか」
「はい。すみません。よろしくお願いします」
ぎこちなくお辞儀をしてみせた。素直ないい青年じゃないの。きっと悪党に騙されて、泣きついたのが田中というセンだろう。おぼっちゃんなんだろうな。チキショウめ!こいつらからは取れないぞ。田中のやつ、どうせ電話にも出ないだろう。今頃ハワイだ。もうどうせひとつ覚えのワイキキビーチで、キャバクラの姉ちゃんなんかに、あごの下をかわいかわいしてもらって、醜い顔で笑ってやがるに違いない。


ウラの仕事ではあるが、組織にも属さず、そんな仕事に手を染めるのはどういう人間なのか。特殊技能であるパスポートの偽造技術とはなにか?現代の印刷技術は、特殊紙の加工技術、さらにはDTP、つまりコンピューターによる印刷で成立している。その分野に精通している者といえば、皆さんがまっさきに思い浮かべるのは印刷屋だろう。ピンポン!不況の中でやむを得ず、不本意な仕事を受け、徐々にやばい受注にも良心の呵責を忘れ、次第に麻痺していく者、家族を養うためにと割り切れぬ思いを割り切らせる者、あるいは弱みを握られ、脅されて引きずる込まれる者、そういった悲劇的な連中も多いが、マニアックに技術を追求するあまり自分から技術を売り込む者もいる。俺の師匠の場合は変わり種で、現代アートの小難しい作品をこね回していて、気がついたらこの業界に流れ着いていたという、どちらかといえば浮世離れしたお方だった。いや、はっきり言おう、本人は芸術家のつもりだったが、世間では変わり者の「印刷屋」としてした見てくれてはいなかった。


俺は俺で、銀行員の息子ではあったのだが、高校三年の秋に、つき合っていた女が妊娠したので、親に大学は行かずに働くと言ったら、殴られ、さんざん蹴り飛ばされ、うちを追い出された。それ以来親父の顔は見ていない。進学校に入るには入ったが、勉強にはついていけず、実はその頃は主観的にはついていってないだけだと思っていたのだが、文芸部などという軟派なクラブでパンクポエムなどと勝手なジャンルをこしらえて遊んでいた。彼女の妊娠という出来事は、俺のそれまでの人生を多いに反省させた。俺は精一杯考えて出した結論だった。いずれ親父とはこんな別れをするだろうと予感はあったものの、まさか高校在学中にあるとは計算外だった。そのパンクポエムの印刷を頼んでいた業者が、師匠だった。勘当をくらう前から、俺と師匠は芸術志向で馬があった。なにかヤバい人だとは感じながらも転がり込む先は他になかった。


(あくまでフィクションです。これがどのように日本語学校につながっていくのでしょうねえ)