わたしのくちからあじが、はなからはにおいが、きえたこと(フィクションではありません。誰か助けてやってくださいませんか)


ある集まりの宴会で、食事とは別に380円飲み放題のメニューのなかにブランデーというのがあったので、飲んでみよ、と軽い気持ちで選んだ。やめておけばよかった、と今になって思う。常識的にも警戒すべきだった。結果論だが・・・。とはいえ、因果関係が証明された訳でもない。ブランデーを20分か30分で飲み終わり、次の飲み物を注文したところで、トイレに立った。大の方を終えて立ち上がったときに、貧血の時になる立ちくらみに襲われた。今思い返している段階では、その後座敷に戻って、奥の邪魔にならない場所に横たわるように言われているところまで、その間の記憶がない。その一杯でフラフラになっていたが、そのときは酔ってもいたのでおかしいとは思わなかった。時間の感覚も定かではない。頭の後ろにこぶができているのに気がついた。なにもしないうちに、それだけのことで宴会は終わった。地下鉄でうちに帰った。


翌日から二日酔いと同じ頭が痛い状態が続いた。食欲がなく、お菓子のようなものを主に食べ、うちにいるときは夜も昼もなくただ睡眠をとった。その翌日に、自分のために作ったのだが、めんどくさくて、焼豚のブロックを角切りにして、ケチャップをかけただけの、我ながらひどいしろものを作った。食べた。何も感じないおかげで平気だった。次の日も簡単なおかずを両親の分も含めて作ったが、塩味以外の加減がさっぱり分からなかった。だしのや胡椒、他の調味料の味、肉、野菜、そんなものの味が分からなかった。月曜の宴会から、水曜の朝になっても目の奥と左目の視神経の先の部分の痛いのが止まらないので、総合病院へ言ってCT検査をした。出血はなく異常はない、とのことだった。


次の日に近所の眼科で見てもらった。視神経の神経痛と言われ、その薬を飲んだ。約10日ほどで痛みはなくなり、生活は元に戻った。(この間、大口のお客さんがレッスンを始めてくれて、個人営業のほうはうまく行き始めている。)食欲も回復した。ただひとつの大きな喪失、あじとにおいの大部分を感じなくなったことを除いては。


すでにブランデーの一件からは一ヶ月半が経過して、微妙な変化はあるが、大体において同じ症状が続いている。回復の兆しはない。味は砂糖の甘さと塩の辛さがはっきり強くある食べ物だけ感じる。においは、普段は皆目なく、歯を磨くときだけ、自然のものではない異臭を感じる。化学的な合成物質か特殊金属の加工されたときに出そうなにおいだ。しかし、どこかで嗅いだ事はあるようだが、仮ににおいの記憶として残ったものだとしても、いつ何処で何からそのにおいがしたのかは思い出せない。この一週間ではっきりし始めたのが、無味だった食べ物が、ゴムまたは粘土のような嫌悪感を伴う味になり始めたことだ。食欲はあり、「脳の錯覚」と思っているので、胃の腑を満たす行為が優先して、食事の邪魔になるほどではない。あるとき、ふと紙をたべたときの味が口中にひろがったことも一度だけある。甘みはかなり強いあじでないともう感じ取れなくなって来たかもしれない。


いつか戻るかもしれないと思いながら、もうダメかもしれないとも思いながら、仕事が忙しくなったのや、時間のあるときに始めた高校数学の復習などに逃避しつつ、かなりの期間をなにも対処せずに来たが、暇を盗んで四日前に近所の耳鼻科に行って診てもらった。機能を正常化する方向の薬を五日間のんで、好転がなければ、大学病院で精密検査という作戦で動いている。


脳の中で悪さをしているなんらかの物質が今も存在している可能性は否定できない。心配な事は、こいつがほかの部位に移ってさらなる機能障害を引き起こさないだろうか、ということだ。レッスンをやっていて、生徒さんに言葉の説明をするときに、当然、自然に思い受かぶべき説明概念へ連想が向かわないことがあった。辞書を引いた後、あっ、忘れていた!という感覚とすこし違っていて、記憶庫から、概念が消えていたなという感覚がした。泰然自若の「泰」の核となる意味が呼び出せず、辞書を引いた。語の貯蔵庫とは違う隣接する概念貯蔵庫なんぞをねずみがうろちょろしているんじゃないだろうか、ねえ。
この点は要注意だ。不気味でさえある。


ちなみに、直前の副教材の公開コラムは、ブランデー事件後だが、そのときはまだこんな不安はもっていなかった。強いて言えば、無意識的にはあったかもしれない。


終わりに。こんな最中にもいくらか読書はしているのだが、感動すら覚える認識を提示してくれたのが茂木健一郎「思考の補助線」の一節で、言語体系内のシニフィアンシニフィエの関係が恣意的なものであるのと同じ意味で、脳の働きによって生じるクオリアが、特定の「このクオリア」であるべき必然性はないのだと書いてあった。「現象学」の延長上にクオリア研究に興味を持っていた私だが、現象学からは,この発想は生まれようがないものだろう。目からうろこ、フライパンで後頭部をがつん、全身に電気と悪寒が走った。