できる医者、なっていない医者(味覚嗅覚異常の続編)


最初に行った大学病院に行くまで・・・なっていない対応の例


自宅近所の開業医の紹介で行ったのだが、この開業医が頼りないことこのうえなく、紹介された大学病院も悪い評判しか聞かなかったので、やや不信感を持ちながら、とりあえず行ってみたのだった。


まず、町の開業医のほうだが、私は、明らかに頭を打った後、味覚と嗅覚が利かなくなったというのに、週一回、毎週かよって、投薬のみで、これは「定番の薬です」から、これで様子を見ましょう、というばかり。「脳」を含めて原因を調べる検査をしてほしいので、(初診の際にあなたが言った)大学病院でないとできない検査のできるところを紹介してくれ、と強く頼んで、ようやく紹介状を書いてもらったのだった。


結局ここだけで一ヶ月無益に引っ張られた。私も一ヶ月が我慢の限界だと定めていた。


しかし、こういう医者の紹介状なんかアテにするより、自分でネットで調べてちゃんと必要な病気への対応をしてくれそうなところを見つける方がよほどよかったと、今では思う。総合病院の飛び込みの初診料数千円をけちってはいけない。


最近の医者は、大きく分けて2種類だと用心してかからないといけないのだろうか。患者の病気を直すことを前提に能動的に病気と取組むタイプと、医者としての地位にしがみつき保身のために自分が文句を言われない「治療」をしたアリバイ工作に走るタイプ。無論本人はそうは思っていないのだろう。自分の治療成功率が何%で、平均より劣っているかどうかなんて、見ていないか、見たとしてもなにかのせいにして、自分は悪くないと心の中で言い訳しているのだろう。


ごめん、正直に言うたら、わしはもう、自分の身の安全が大事やから、頭から信用できない医師が多いと決めてかかってます。



医師たちが置かれている状況がたいへん厳しいということも聞くが、こっちは味とにおいという生存と生き甲斐に関わる機能不全を抱えているのであり、その原因はその時点でなんとも言えない状況であったから、より深刻な障害が中枢で発生しているのではないかという不安も抱えていた。


なってない医者に、さらに引っ張られる数ヶ月が始まった。


最初の日。「エピソード(頭を打ったこと)から考えて、脳の問題も考えられますが、ほかの原因も考えられますから、一応薬を飲みながら、通院してください」血液検査を行い、次週は、嗅覚に異常がないか検査するということになった。
まず、この医者にも不信感を持ったのは、その次の回の診察で、やると言っていた『匂いの感覚検査』をしなかったことだ。血液検査の結果異常はないとのことだった。MRの検査は3週間後と言うことになった。予約は一杯で順番待ちになるとのことだった。腹の中では、なんで、いっっこいっこ別々にするんや、一回目でMR検査の必要なことは分かってなかったんか、ぼけ!と叫んでいたが、医師に対する態度はあくまで恭順を表し、卑屈にならない程度に丁寧な態度を維持した。


二回目の診察で、投薬の結果の変化について話した後、「もう味覚は戻ってると思いますよ」と最後に言われた。一般的に味のほとんどは匂いとともに感じるもので、私のように辛さと甘さが分かっているのなら、大丈夫だろうとのこと。くわしく聞きたかったのだが、この大学病院尾耳鼻咽喉科は満員で、予約時間通りの診察は決して受けられず、平気で3時間以上押すこともあるので、
他の患者に悪くて、クロージングに入った後に引き延ばすのは悪くて出来なかった。


MRの間、次のようなやり取りもあった。
味覚障害の原因の一つに、亜鉛の不足というものもある。その亜鉛の投薬について)
医者「しばらく亜鉛を止めてもらいましたが、変わりはなかったですか」
私「そうですね。(止める前から)戻った味覚は、濃い辛さと甘さは持続できてます。良くも悪くもなっていません」
医者(なぜか不機嫌になって)「そうですか。それじゃ、亜鉛はもうやめますよ。変化のない薬は無駄ですからね」


MR検査結果後の診察では、「脳に水がたまっていることが分かりましたから、次回は神経外科へ言ってください」
私「それはどういうことですか」
医師「わたしからは何も言えません。」


そのとき、次のようなやり取りもあった。
私「ちょっと嗅覚障害について調べたのですが、アリナミン検査というのがあるそうですが、そういうのはやらないんですか」
医者「それはちょっと早すぎます。もうしばらく様子を見てから」(パソコン上にカルテ代わりの記録をチェクして)「あ、まだやっていなかったか」と独り言のように小声で言ってから、「もし、希望でしたら、やりましょうか。次回でも。今でも」人の顔色をうかがいながら適当なことしか言ってないな、こいつは、と思いつつ、じゃあ、今日お願いします、と答えた。この結果、血中に匂い物質が投入されても、感はあるものの、識別は正常ではないことが分かった。(ただし、これは私の判断で、医師は、この結果について、なにも分析も所見も述べずじまいである)


あるときは、こんなことも言われた。
「いくら、今の匂いの状態を詳しく話されても、私は分かりませんよ。」
逃げ腰も露であった。



結局、不安な一週間を過ごしたのちに、また数時間もの長い時間待ちの後に、ようやく脳神経外科の担当医師にあって話をきくと、『異常はない」とのこと。匂いの異常とは関連はないし、水がたまっているのも、今すぐどうこうというようなことは考えられない。年に一度くらいの検査をすることだった。それだけの話を聞くために、わざわざ、半日以上潰された。


予約について、ひとつだけ付け加えると、私は毎回予約時間が3時間過ぎた時点で、一応忘れられていないか耳鼻咽喉科の受付に確認をしていたのだが、そのせいかどうか分からないが、担当医師自ら、予約時間の指定をせず、午前か午後か選べと言われ、(私だけ?)突然予約システムが変更になった。「時間を決めてもその通りに出来るかどうか分かりませんから・・・」と不機嫌に言い訳を聞かされたのだが・・・。


この病院自体を見限って、インターネット上で、「嗅覚障害」に対応します、まずは原因を調べます、と謳っている総合病院へ切り替えた。


今度は、待合室のパネルには、現在○○時の予約の方を診察中と表示されるシステムだ。○時と決まっている人が三十分以上も待たされることもなさそうだ。よく考えたら、前の病院では予約を取る意味がないほどに毎回何時間も遅れていたが、結局あらかじめこなせない人数の予約を受け入れたりしていたのだろう。システムと、個別の対応が、食い違っていたのだ。


最初の問診で、考えられる原因として、鼻腔の奥にある<嗅脳>から上位の脳神経へつながる部位<鼻膈?だったかな>で、多くの神経が切断した可能性を指摘された。頭を打ったことが原因であれば、そうなると考えられる。こちらの医師は、メモ紙に簡単な図を書いて説明してくれた。いくつかの検査で、「そうではない可能性を消して行かなければなりませんが」とりあえず、そう考えられるとのことだった。以前の病院に入っていた間には決して得られなかった<納得できる説明>をようやくしてもらえた。


前の病院での三ヶ月、診察回数は少なかったとはいえ、それだけの期間、私は、自分の障害に関して、なんら、基本的な理解も、見通しも
持つことが出来なかった。こちらでは、初日のちょっとしたやりとりと以下の簡単な検査で、今後の予想、自分の人生や日々の生活でこの障害がどうなっていくのか、おおまかな理解と見通しが得られた。悲観的なものではあるが、以前の病院に通っていたころの漠然とした状態から、一気に解放された。


この日は、例のアリナミン検査、血液検査、次回に問題の部位のCT検査と言う段取りになった。


その翌週、すなわち、今週月曜日だが、
今のところの結論は、味覚は戻りやすい(現に、簡単な試薬を舌に投じる検査で、辛さ、甘さ、酸っぱさ、苦さの感は確認)のだが、嗅覚は大変治りにくい。5%程度の可能性に賭けて1年ぐらい薬を飲みながら、たまに病院へ行くことになった。


おまけに、こちらのできる病院では、血液検査でハウスダストに対する高い値でのアレルギー反応がみつかった。前の病院では言及されなかったのだが、・・・。


こういった違いはいったいなんなのか。医師の個人的技量の差もあるだろう。病院の運営もシステム設計にも差はあった。嗅覚障害という起こりにくい障害そのものの経験値の蓄積の差もきっとあるだろう。自分の仕事上の経験から考えても、患者の集まり方、集め方と受け入れ側の姿勢とは、よいところでは正のフィードバックが、悪いところでは負のフィードバックが働くものである。あのまま、あの病院に通い続けても、自分が今、現代医学の水準で分かる範囲でだいたいどういう状態にあるのかすら分からなかったことだろう。金と時間の無駄も良いところではないか。


ここで危惧するのは、あのあやふやな「なってない医師」は、「分かっていて」それが患者にとっては悲観的だったから、「言い方が分からず」ちゃんと話をしなかったのか、(まあ、それのみならず、投薬以外は、検査や検査結果からの分析とその判断を知らせることさえ満足にしてもらえてなかったようであるが、)あるいは、「ほんまは病気のことが分かっていないのではないか」難しい症例が来ても「研究したり、対応したりする能力がないのではないか」という疑いすらぬぐいきれない。これはうちの近所の開業医も同様だ。なにしろ同じ大学の医学部出身の可能性が濃いし。「薬を飲んで様子を見よう」という台詞と落としどころが同じこともあり、こいつら二名を指導した医学部教授の水準や年齢などまで想像してしまう。


ある別の大学病院での数年前のことだが、神経ヘルペスで左半身全体が激痛に見舞われ、その流れで大腸ポリープがみつかった。内視鏡検査時にとても痛かったので、痛みを訴えていたのだが、いっこうに改善せず、終わったときには、私は数十分続いた痛みのせいで、むしの息だった。そのとき、担当した医師が、サブの医師に向かって聞こえよがしに「もう、ぎゃあぎゃあうるさいから、途中でめんどくさなったで。一応ちゃんとやったったけどな」などとほざいたことがあった。二度とこいつには俺の腹の中をいじらせたくないという一心で他の病院を探した。これは近所の信用できる内科の先生の紹介で、痛くない内視鏡手術で取り除いてもらいことなきを得た。とる必要のないポリープだったが・・・と、首をひねっていた。(これは後に、この手術のせいで、保険に入れなかった、という無用の不幸につながった)


こっちの病院については、まだある、大病院になるといろいろとシステムが複雑である。初めての利用で、分からないことは聞かなければならない。それで、質問は必要に応じてしていたが、ある看護士は「いややったら、他の病院に行ってください」と言った。同じ病院内で、別の科の看護士にも、また別の件で同じ台詞を聞かされ、つまらない小さい質問に、せっぱつまったこの開き直った対応・・・とは?
はてな、この病院、やばいんちゃうかな?という感触を持っていたら、最後に内視鏡でひいひい言わされたのだ。


医療崩壊などと週刊誌で騒がれているようだが、まったくもって、病院に限らず社会総体におけるシステムの機能不全は
もうずっと前から始まっているのだろうと思う。この種の愚痴は、日本中に、特に医療に限らず、満ちあふれていることだろう。


日本語学校でも、できる学校と、なっていない学校と、どちらも経験したが、
今回の異常に関しても、また同じ種類の経験だ。


妙な余裕をかまして、地域の医療を信頼してみようなどという酔狂から、予想された悪い結果が当たるのを確認してしまった。が、やはり、この件は最短で最適な対応をとってくれるところへ急ぐべきだった。嗅覚障害も早期の対応をするかどうかで回復レベルが変わってくるという注意書きは、私とてこの障害に陥った初期段階でネットを通じて、この目で見ていた。ああ、それなのに!