私にとって懸案の「は」と「が」にとりあえず<決着をつける>準備をしています


いえいえ、研究者の皆さんがどんなところまで研究を進めたのかを知る、という意味ですから。
私が何か、最終的解決を提案するなんて意味では決してありせん。
ということですので、白い目で見ないでください。(7月1日追記)


今年後半には、世間的に表に出せる「カタチ」をつけるつもりで、この上半期は理論面にあたりをつけてきた。
言い換えると、自分自身の、また語学教師として「日本語を分析するにあたっての」哲学レベルまで掘り下げた理論的基礎を固める目論見だった。


正月段階では、「人類の現状評価」のための「人類の知的最前線およびその先駆けとなった知的遺産」を1年で総ざらえするという計画を立てたのだが・・・茂木健一郎の「脳を活かす勉強法」を手始めに読んだ。


実際には、1月半ばで、(味覚と嗅覚を失う事件のしばらく後になるが)年内には「日本語に関してカタチのあるもの」を目指すことに大きく方針転換した。その手始めとして、「言語哲学」の復習とその後に向かった。1月から2月にかけて「日本語の格文法」(小泉保)「日本語の文法」1(岩波)などにあたった。しかし、実際には、去年からちょこちょこやっていた数学の復習に使える時間を一番多く割いていた。(2月〜3月「高校数学+α」(宮腰忠)「ニューアクション数�+A/数�」)


今年に限らず理論的射程には、現象学(最近みつけたところではミシェルアンリなどがよさそう)のほか、関連する認知心理学および認知言語学言語学プロパー(構造主義言語学生成文法形式意味論、談話理論など)、脳神経科学、記号論記号学カッシーラーの「シンボルの哲学」も予定している。とりあえず近々に読むものとして、レイジャッケンドフの「言語の基盤」に取組むだろう。いま「心のパターン」を半分読んだ。示唆的な本である。


理論面で実際にやったことは、フレーゲ言語哲学、形式的論理学に入門した。自然言語との懸隔は大きいが、アタマの訓練、『議論を強化する』のには役に立つ気がする。記号論理学の入門書、集合論および数学基礎論など。
野本和幸「フレーゲ入門」を皮切りに、(飯田賢一、中才敏郎、中谷隆雄)「論理学の基礎」野本和幸「現代の論理的意味論」などをノートを取りながら読んだ。「科学哲学入門」(NHKブックス
とにもかくにも、20世紀初頭までの理解しかなかったのをアップデイトしたとは言える。80年代のいわゆるニューアカブーム時の一時的な
スポットライトの当たったころ、リアルタイムのこの分野の出来事は私には盲点だった。


平行して、斎藤正彦、森毅ゲーデル関連を読んだ。数学プロパーでは、不完全定理が数学の周縁的な出来事であり、その後も数学は健全に発展しているのだという認識を得た。岩波文庫の「ゲーデルの不完全定理」についている解説が(人文系の人の書いた物と違って)有益だった。(5月)無限が問題だと言うことは分かったが、無限の数学的扱いはどうなってるのか分からない。連続性の証明すら私にはアヤシい。一次元も二次元も濃度は同じ?(上江州)「集合論入門」途中まで。「数学」はまだまだだった。チャレンジ再開は来年か?


6月に入って、遠回り、先延ばしばかりはしていられないので、野田尚史「『は』と『が』」に取りかかった。図書館でみつけた浅山友貴「現代日本語における「は」と「が」の意味と機能」は前者ではあつかっていない、どちらでもよい場合をとりあげて論じている。(とのこと、前書きによれば)これらは、学生用のドリルを作るには・・・?ということを考えながら、読んでいる。


今後さらにこの最後に記した方面に深入りする予定だ。