スーザンジョージさん、ようこそ日本へ!


まさか入国できないと言うことはないと思うのだが、と言う以前に、いつ入国予定か私は知らないのだが、G8に異議を述べる立場でフランスからスーザンジョージ氏が来日することになっている。もう入国しているだろうか。経済的にはぎりぎりだが、私は、大阪から東京の講演にはいくつもりなんである。今週土曜の夕方4時から文京区区民センターにて。(http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/268


(順序が前後しますが、講演に行って参りました!)
東京講演(6/28)の模様は、こちらです。1時間の講演のダイジェストです。
http://video.labornetjp.org/Members/akira/videos/0628.wmv/view



この方の著書に最初に触れたのは、まだ大学生だったころだ。今から25年ぐらい前。
「なぜ世界の半分は飢えるのか」(朝日選書)
地球上の富の偏在の問題点の指摘、一般の人々の世界経済についての、特にいわゆる「貧困な国々」についての誤った考えを丁寧に正して行く内容だった。私も薄々そうじゃないかなあと思っていたので、我が意を得たり、という気持ちになった。内容としては難しく、その後使命感にかられ、この人の他の朝日選書のシリーズを読もうと思って買っては見たもののまだ読めていない。一体何年積んどくつもりかというぐらい、手をつけていない。


いまだ世界は、不公正な経済システムを是正する方に動き出してさえいない。いつまで、人類は、自身の平等実現をおあずけにしておくつもりか。
25年前よりも悪くなっている。


私が日本語教師になったことにも、関連がある。


小学5年生のときに、大阪で万国博覧会(1970年昭和45年)があり、「人類の進歩と調和」という方向付けを刷り込まれた。いまでも、その「理念」の良き側面を追求しようと思っている。そんな私である。基本的には素直な私である。学校では、資源のない日本が生きて行く道は、工業化と国際分業を進めるしかないのだということも小学校や中学校段階から陰に陽に教えられても来た。見る見る豊かさを実現して行く大阪という都市に不安や不満も抱えこみつつも、将来はもっと良くなると信じられる時代を生きていた。(まさか、世界が、そして日本がこんなふうになるとは思っていなかった)中学二年のころ、家人が読んでいた「成長の限界」も衝撃だった。この本は、エネルギー資源や農地の工作限界、人口の増加など、人類の生存の観点から、人間圏(当時そんな言葉はなかったけれど)と惑星上のシステムとのバランスの問題を指摘したものだった。


高校入試(1974年)の問題に、人類の月着陸についての作文の課題が出たとき、私は、人種差別と貧困国の飢餓の問題が解決していないこととを重ね合わせて懐疑的な意見を書いた。小松左京の人類のフロンティアとしての宇宙という考えにはすでに接していて、それも追求すべきだとは思っていたし、今もそうなのだが、しかし、限られた一部のひとたちしか参加できないとは悲しいことではないか。


インドやフィリピンの貧しいこどもたちは、20歳まで生きたい、それが夢だという。周りの年長者がたくさんそこまで生きられないのを見ているからだ。少年兵としての生活しか選択肢のない子どもたちがいる。ひょっとしてこういう話は、昨今の日本の食卓でも、言うことを聞かない子どもに聞かせる説教の材料として、取りざたされることもあるかもしれない。


ただし、スーザンジョージさんが指摘しているのは、工業国のマスコミが好んでとりあげる飢餓線上の悲劇だけに目を向けるべきではなく、慢性的な栄養不足や、社会的不公正を温存している制度の問題、それも先進国の様々な圧力に寄って貧困から抜け出せないシステムがくさびとなっている状況だという、そういったことに目を向けなければならないのだという。


たとえば、世界銀行や国際金融基金などの国際的な公共の利益に貢献していると思われている正義の味方のようなイメージの国際機関が一部のいわゆる先進工業国の利益代表として、無茶な政策を押し付けたり、社会構造を「改悪」するようなことまでやっている。そういったことだ。


国際的な借金、債務の問題などは、日本国内のサラ金と非常によく似た構図になっている。返済しても終わらない、返し過ぎていてさえ終わらない非道な仕組み。まともな社会基盤を構築する資金をまわすことができず、貴重な資源や農産物を外資を得るために安く買いたたかれるという構図。


日本ではほとんど取り上げられなかったが、2000年シアトルG7(*:間違っていました。このときやり玉にあがったのはWTOでした。29日訂正)に対する抗議行動が盛り上がったのは、こういった問題意識からである。国際社会では世界社会フォーラムという国際的な富の不均衡、自然破壊、人権の問題などに取組む<市民>の集いも開かれている。日本のマスコミはなぜかほとんどとりあげない。自由な市民の国際的連帯は知る人ぞ知る未来への希望へ向かう潮流となって、すでに始まっている(はずだ)。




スーザンジョージさんの基本的な希望への道筋の考え方は、西ヨーロッパがファシズムと対抗できる社会のモデルとしてたどり着いた福祉社会の実現という穏健なものだ。自由意志によって世界の人々と連帯し、あくまで非暴力をモットーとする行動によって、国家と資本に対抗する力を形成する、それだけの簡単な話なのである。


「争うことはない。分け合えばみんな十分食べて行ける。」


これは実は桂三枝師匠がいつぞやの正月のテレビで高座にかけた創作落語のオチの言葉でもある。意外な人から聞いて驚き、嬉しかった。やっぱり正月は何かいいことがある、とそんな気がした。


私は、経済のことは専門外で苦手だ。しかし、この人が言うことには聞く耳を持たねばならないと思うので、まあ、その、なんです、私のゴーストがそうささやくので、attac関西という市民グループに参加させていただいている。ここの中心課題は国際通過の取引に1%の税金をかけることだ。
(通貨取引税、またの名をトービン税という)
過剰な金融市場への投機によって、経済基盤を揺るがされる国や、国際通貨市場全体の安定のためと、得られた税収を国際的な公益に振り向けようと言う趣旨だ。今年ようやく国会議員の中にも、このアイデアをとりあげる動きが生まれている。参加してもう、数年になるけれど、教えてもらうことばかりで、私はほとんどなんの貢献も出来てはいないが。


これを読んで、なにか感じるものがあった人は、出来ることで行動を起こしてくれれば、ほんとうに嬉しい。講演に参加すればきっと得るものがあると思うけど、無理はしなくていい。ふだん見ないような種類のホームページを検索してみるとかそれだけでいい。G8の問題点に興味があれば、「徹底批判G8サミットーーその歴史と現在」(作品社)を読んでみるとか。



特に、普段から外国の貧困の問題に心を痛めているけど、なにをすればよいのか、それ以前に問題の原因はなんなのか分からない人、それから日本国内にいながら自分が不公平な立場に置かれていると感じている人。


このブログに長年書きたくて、しかし、自分の自信のなさなどのもろもろがあって書けなかったことをようやく書いた。酒の勢いを借りてならぬ、スーザンジョージ氏来日の余勢を借りて、である。


最後に大げさなことを言うことを許していただくと、私は人類の希望を見に行くのである。
すくなくとも気持ちの上ではそうなんである。宗教とも違うし、特定の政治思想に包摂されるものでもなかろうと、私は考えている、てことを
付け加えておきます。ましてや、ネット上に溢れている陰謀説とも相当な距離があるものです。環境税が実現するのに百年かかったそうだが、通貨取引税もそういう類いのイシューだそうだ)



6月29日追記
行ってよかった!
東京講演(6/28)の模様は、こちらです。1時間の講演のダイジェストです。
http://video.labornetjp.org/Members/akira/videos/0628.wmv/view


東京では、明治大学(30日)と東大(7/1)で講演
それから北海道へ。詳細はこちらです。
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/268


あくまで非暴力で、と訴えておられました。