ゆうきまさみ祭りも開催


ゆうきまさみ祭りも開催しました。


ここで、財政はいったん破綻しました。今月末から9月初めに回復するまで、当社は超緊縮モードに突入です。(まだ夏本番真っ最中ですのにね。2ヶ月のお祭りモードはかなりきついことが分かりました。むしろ海外の方が安く付くのかな。来年の祭りシーズンに向けて要検討ですな)一時、開催は中止しようと決定したのですが、ジュンク堂梅田本店の棚が、わたしをして、後先見ずにお祭り用のいくつかの出版物を購入せしめるよう、強く働きかけられ、抗しきれませんでした。)


「萌え」の原点は、「うる星やつら」との意見が「はてしない物語」に出て来てましたが、
そんなことは、真面目な日本語教師の皆さんはどうでもよいとお考えかもしれませんが、一応・・・


日本語教師として日本文化の歴史重要事項を把握しないといけないという義務によりいやいや書きますけれども


わたしの経験上「萌え」の原点は「魔法のプリンセスミンキーモモ」(1982)ではないかと思います。
うる星やつら」(原作78ー87/TVアニメ81ー87)この登場人物の「ラム」に<むらっとくる>気持ちは分かる。当時大学生だったわたしは、友達のうちで、ラムちゃんのフィギュアを見たときに、ま、気持ちは分からぬではないが、若干どうかと思う、と無言で無視しました。作った人も、いたずら、というか、他にやることもないんで・・・的なノリだったろうと思います。実は日常的には、いろいろやることはあった上でのことです。


直視しがたいフィギュアのなまなましさ、何となく感じる罪悪感のようなわたしの感覚は、今では理解されにくいかもしれない。わたし自身も当時の感覚はもうない。もともと私は、同世代の男子が思春期にやっていたアイドルポスターなど貼らない者だった。その手のフィギュアを飾りたい気持はさらに分からない。子供のころから偶像崇拝っけは希薄だった。


ミンキーモモ」の場合の、当時の言葉で言えば、学生というモラトリアム期を通過中のわたしら、特に文学部という特別区的エリアでのギャグのひとつとして、この作品に言及することがありました。


もうよく覚えていない。


どうして、こんな話をもちだしたか、分からない。誰か、評論家がいずれどっかで書くだろう。もう書かれているだろう。


ええと、わたしの世代的な実感を記録の意味で書き留めておくならば、59年(昭和34年)生まれ、漫画がすでにありふれたものとなっており、テレビアニメの草創期から視聴している世代である。この世代が思春期を迎えるころに、性的なリビドーの向かうところが、そんなものであっても不思議はないのである。


しかし、まだ少数の男子の中でぽつぽつとしか顕在化していない。世の中でおタクだ,二次元だとマスメディアで取り上げられるまでには、さらに次世代を待たねばならなかったというわけであろう。


古くは手塚治虫先生の自伝的な漫画の中にも、戦時中(どの戦争?第2次大戦ですが・・・)ガキ大将のリクエストに応えてカワイ子ちゃんの絵を描いていじめられなくなったどころか、庇護されるようになった、なんてエピソードもあった。




つまり、わたしから見ると、今日の「萌え」文化は数世代をへて、徐々に醸成されたものだという観察である。
(ここでいう文化とは、文化人類学の対照となるような、社会的に伝播する行動様式のようなものである)




ゆうきまさみ先生は、ガINAX作品、「トップをねらえ」などの、盛り込み密度が高いのを大阪的なノリとして、御自分にはあんな盛り込みは出来ないなあと思ったと述懐なさっていらっしゃるが、大阪者としても、それは理解できるし、ゆうきまさみ先生作品の良さも、淡白なところにあるとおもうです。


そんなこんなが、祭りの成果であった。
私にとっては、30代半ばに、もうおもしろいと思う漫画もないと思い込んでいたわたしに、「ええ年したおっさん」が読んでもおもろい漫画があることを認識させたのが、ゆうきまさみ先生の作品だった。高橋源一郎文芸時評で取り上げたので、気になって、試しに買ってみたのだった。
そういえば、1世代若い同僚が、「究極超人あ〜る」を読んでいたことも影響があったようだ。


ついでに,昨日のFM大阪で聞いた、鈴木プロデューサーと押井守監督の話で、アニメ界の頂上から見た現状が開陳されて有意義だったと思ったです。


様々なジャンルのcream(ええとこのみすくいとったもの、という意味)をつまみぐいするsyuninchanの、幅広い趣味の中の漫画アニメ話でした。


起立!礼。着席。


ほへ〜。年末に向けて、計画立て直しを本日から始めますです。さようなら。