アウトプットおっ


今年の個人的課題は 右脳と左脳の連絡をよくつけることだった。
来年の課題は アウトプットおっ になる。


わたしの個人的課題は 内なる自分が どこか分からないところからと および状況から聞き取ったもの。
去年の暮れに聞き取ったのが最初で、今年から開始された年間の習慣である。
つまり、本当は、これが習慣になるかどうかはまだ分からない。
<現実>に対し単に合理的判断だけでアドホックに対応するのとはちがった戦略、教育用語で言うところの方略を
用いているわけだが、これがしかし、根拠のない「感じ」または「流れ」が 現実と相互作用しているようでもある。


今年の課題と 去年の課題にまたがる 格好の体験版レッスンの集大成が 昨日曜日にあり、なんとか終わった。


サックス演奏の発表会で、アドリブ入り演奏をしたのであった。
プロのサックス奏者、入江美香師匠のご指導を受けている皆さんと合同発表会。題して「大人のパーティー
神戸元町Just In Time 。ときあたかも神戸ジャズストリート開催中。
わたしは、緊張していて、あまり交流を深める余裕はなかったのが残念だったが、
それぞれの日頃の成果を出し合って、また、今後の練習に励む節目となるものだった。


ジャズのアドリブは、本能的なというか無意識の、というか、それの表現欲求と、
コードだのスケールだのに基づいてテーマのフレーズを理解し、
それをもとにさらに新たなフレーズを創造する知的な操作の両方のバランスで成り立っているものだと、
私は理解しているのだが、文章を書くのとちがうところは、アドリブだから即興でその両面を満たさねばならぬ。


うまくいくかどうかなんてやってみなけりゃ分からない。
だからと言って、日頃の練習を怠っていては、いざ本番というときに困るのは自分だ。
こっちのほうが、長い目で見た人生に近い。
私は,人生はアドリブだと考えてその覚悟で生きて来た派だが、そして、上に書いた伝で行くと日頃の練習を怠って来たものだが、
人前での本格的なアドリブは生まれて始めて。


いざ本番となると、練習時とはまったくちがっていた。左脳右脳の共同作業が必要となり、尋常でない集中力を要した。


すでにリハーサルでは、口に力が入りすぎて、キーという音が混ざるは、アドリブ後のワンコーラスすっとばして
エンディングに入るは、また本番では、アドリブ後のテーマの最初の2小節はすでにくたくたで吹けなかったり・・・。
演奏中なのに休ませてもらわないと続けられないくらい。足にも来ていた、膝がくがくだった。
バックについて下さったプロのピアノ、ベース、ドラムの方とのアイコンタクトもできず、ステージマナーもよくなかった。


本番が近づいたころの自主練習では、知的理解面は、ついおろそかになって、コードに合わせて実際に鳴らす練習ばかりに
なてしまっていた。そういう意味では、人様に聞かせられるような準備にはいたらなかったのだが、
自分としては、来年の機会には最低限のまともなものにするための通過点と位置づけてできるところまでやることにしていた。


自分でも日頃経験しない水準の集中力を発揮した体験だった。
わずか数分のステージの後には、軽い燃え尽きた感触が残っていた。
元町から三宮まで歩いて、昼飯を食っていなかったので、『壁の穴』でミートソースとなすのスパゲッティ、ミディアムサイズを
注文した。おっかけて、普段は必要のない、そうする習慣のないワインを追加注文。
溶けない緊張感をほぐすべく、スパゲッティのお供にした。


ふと、帰り道竹内まりやExpression初回限定版購入。日常に戻るのに必須のような気がして。


日本語レッスンの業務がない時間を、私は実は本業に関連した<教材作りプロジェクト>を遂行中であり、
空いている時間は今ずべてそれに費やしているのだが、元NOVA生徒の会の方からのお誘いは断らざるを得なかったほどだ。
合間に入れる休憩になると考えるのは今後のアドリブ練習をどう組み立てるかなど、そんなことばかり。


やはり、前後に費やした時間と、なによりも、一瞬のステージに凝縮した集中と興奮は強烈なものがあった。
似ている体験では、卒論を書いたときのこと、小説作品を執筆したときなどがかなり昔にはあったが、
いやはや、これは病み付きになりますですよ。


集中力の高さの目盛りはそう簡単に上げ下げできるものではない。そのことを体験しているところだ。
今は、元に戻すのに時間をとっている段階だ。
<教材作りプロジェクト>に月曜日いきなり戻るのはとても無理で、雑用に時間を振り向けた。
午後と夜間に取組んだが、作業はするものの頭の芯には入ってこなかった。


そして、今日である。すこしづつ戻すことだろう。
そのつもりで、休んでいたこのブログを書いている。


「大人のパーティー」の準備最終局面のどさくさに入る前、わたしゃなにをしていたのだろうか。

個人企業「堺バーバルコミュニケーションサービス」の協力を考えてみたいという方と会ってお話した。
自宅近くで、コアライブラリーのチューター説明会に参加した。その週の終わりは、
神戸に縁があって、前の週の日曜も六甲山で、ATTAC関西のメンバーの方の結婚式に招かれていた。
自己啓発関連の本をまとめて読んだ。これから、個人企業としての業務がさらに多岐に渡りジャグルする量が増えるので。


「脳を生かす仕事術」あ、そうそう、これ,読んで アウトプットおっ と思ったのだった。
そもそも、インプット担当者とアウトプット担当者は、脳内の別の部署に配属されている。したがって、インップットをひたすら強化してもアウトプットの錬成にはつながらないという、脳のお役所仕事的側面についての指摘があった。


「計画力を強くする」(講談社ブルーバックス)日本人が苦手なところに配慮して書いてくれているのがよかった。
本棚の本のおおざっぱなまとめをエクセルシートに整理した。色付きで
目標の具体化において、数値、言語のほか、イメージを絵にする、というのが有益だった。今やってる教材づくりにも、完成図のイメージを持っておくことは大切だ。
手段と目標を分けること(△)
締め切りを作ること(○、年内に「計画」を具体化し終えて、次のステップ、本格的制作へ)
制約条件の可視のもの、不可視のものへの対応(未)
etc.


エクセルシートにさらに アウトプットおっ を具体的にいくつやるか、どなたとやるかをまとめた。気分はもう来年。


「一分間勉強法」いや、これは話の種、程度ですわ。実際にはそれぐらいのスピードで読まないと死ぬまでに読み切れないほどある。
インプットん,の方はもう満杯でもある。天牛堺書店古書のコーナーでこれは!と思う本をみつけても、ぐっとがまんして買わない。手帳にメモして買ったつもりになることで抑える。行動にも変化の兆しが出ている。


三色ボールペン情報活用術」の方法で「暴走する資本主義」を途中まで読んだ。三色ボールペンは適当なのがなく4色で運用中。
手帳の使い方も充実したものになってきた。


『一分」と「三色」が共通に強調している点があった。それは
アウトプットお を強化せんとする我においても、インプットの効率化は望ましい。さっそく採用実行。


来年は、通常のレッスン業務に加えて、アウトプットおっ をたくさんするために、
自己管理部門強化を遂行していたのだ。


インプットん、ばかりやり過ぎだ。これではいけないとうことについては、30代なかばに小説が書けないと悩んでいたころから、気がついていたことでもある。茂木健一郎さんによると、現代人はインプット中心になりがちだということだ。しかしこのモード転換は、強力にかつ意識的にやらないと、また、アウトプットおっ状況を自分で作ったり飛び込んで行かないと難しい。


このブログも、そのために始めたんだった。


世間もどんどん動いている。間に合うか!?
やってみなけりゃわからない。