自分で勉強する、とは? (小学校5年生から中学1年生向け)


T「試験が近いんやってな」
S「うん」
T「勉強してんの」
S「まあね。好きな科目だけ」
T「自分でやる時、どんなふうにしてんの」
S「教科書覚えたり、プリント見たり」
T「分からんとこは、どないすんの」
S「分からんとこは分からんから、ほっとく」
T「あ、そうなん。それは、あれやな、勉強の第一歩はやってる、ちゅうことやな。
  昔、孔子という偉い人が中国におってな。勉強するということは、自分が分かることと分からんことが分かることやと
  言うてはんねん」
S「それは、うちも分かるで。でも、分からんとこ、分からんままでも、ええのん」
T「分からんとこも分かりたいか、やっぱり」
S「うん。そやけどどないしたらええか分からんから、分からんままやねん」
T「ほな、第二歩目の分からんとこを分かるにはどないしたらええか、考えてみよか」
S「ああ」
T「その答えもさっきの孔子さんの文句の中に実は隠されてんねんで」
S「・・・」
T「あんな、学校の先生は、全部順番に説明してくれるやろ」
S「そやな」
T「そやけど全部分かれへんわな。これが問題なわけや。学校行って座って先生の話全部聞いてても、うまいこと行かへん。
  せやから、全部は聞かへんし、そうするとますます分からんとこが増える」
S「友達としゃべってまうこともある。後ろの方に座ってる子らなんか、全然聞いてへんで」
T「あんたは、まあまあ、先生の話聞く方か」
S「おもろない先生の時はしゃべってるわ」
T「そらあかんがな。大阪の子らは、先生がオモロいかおもろないかで差別するから。そやから全国平均より悪なってんのとちゃうか。ま、元へ戻るけど、そんなんやったら、クラスの中で、一人一人分かってることはばらばらやろな」
S「出来る子は全部分かってるし、ちょっとも分かってへん子もおる」
T「先生は、それはどのくらい分かってんのかな。たとえば、あんたがどれが分かってどれが分かれへんか、ちゃんと知ってるかな」
S「ま、だいたいは分かってるんちゃう。毎日会うてるし」
T「ふうん。そやけど、大体やわな。みんな一人一人分からんとこがちゃうのに合わせて、みい〜んなが分かるように授業してくれてるかな。さて、ここで孔子さんの言うたことに戻るけどな、分かることと分かれへんことが分かるのは誰やろ」
S「そら、自分やろな。先生でも細かいとこまで分かれへんから」
T「自分が分かる分かれへんかは、自分にしか分かれへんわな。それは学校の先生はやってくれへんわ。家庭教師ではないからな」
S「カテキョーて、そんなことやってくれんのか。すごいな」
T「家庭教師おらん人は自分でやらなしゃあないなあ」
S「いとこの兄ちゃんバイトでカテキョーやってるねんて」
T「自分でやらなあかんことは分かりましたか。分かりましたね〜。いとこの兄ちゃんに頼らんとせなあかんとしょう」
S「金やらな、手伝ってくれへん」
T「そやろ。分からんところを分かる方法は、あるか、ないか」
S「ない」
T「反射で答えな。考えてみ」
S「考えてもない」
T「いや、あるねん。あんなあ、孔子とか言うても君知らんやろけど、めっちゃ昔の人やのに、いまでも有名なのにはわけがあるねん。人の役に立つことをズバって言うて、みんなが、ああそうやな、孔子さんの言う通りにしたらええことあったわ、て言うてる人が続出したから、ここまで
伝わってるんやで。もう答えは全部さっきの言葉の中に入ってんねん。声に出して読んでみ」
S「勉強することは、分かることと分からんことが分かること by孔子
T「どや。弁証法や」
S「え?」
T「分かることが貯金や。分からんことは、これから入って来る利子や」
S「?」
T「分かることの前に「自分が」をつけてもういっぺん読んでみ」
S「いやや。先生読んで」
T「ほな読まんでええから、黙って「自分が」をつけて読んでみ」
S「自分が分かることと分からんことを分かること・・・・。自分が分かることと分からんこと・・・。自分が分かってることだけが分かっていることだ。分からないことは、分かることをヒントに、少しずつ増やしていけばよいのだ。いつかすべてが分かる時が来る。人間は今分かることから出発する以外に方法はない!」
T「分からんとこを分からないままにする人は、分からない所ばかり見て、はあ〜難しいなあ、て言うて止まってんねんな。そこへ孔子さんが来て、ちょんちょんと後ろから肩たたいて、あんた、ちょっとそっちばっかり見んと、もう一回分かっているところを見て見なさい。そこで分かることを、分からないことに応用できないか考えてご覧。あ〜ん?」
S「あっ、孔子先生、ぼく分かりました」
T「復習もせなあかんというのは、このことやで。分かってることをしっかり身につけて、次に出て来る知らんことやら、分からんことを分かるために、これまでの勉強を応用するわけや」
S「分かることをただ分かるだけではなく、理解の方法をこそ分かるのが勉強なのだ。自ずからすべての知識の体系的な関連性というものに目覚めるのよ、いずれはね。分かったかね、愚か者諸君!」
T「いや、これ中1レベルや言うてるねんから、そんなことまで言わんでええやろ。で、孔子さんが言わへんかったことで大事なことがあるねん。先生に教えてもらのが勉強だ、とは言うてない。自分で分かることは誰にでも出来ることなのだ、というのも、この言葉には入ってるな」
S「なんで」
T「なんでか言うと、はじめに、もうちょっとでも自分で分かることが出来てるやないの。まるでなあんも分かってない人もおらへんやろ。自分で分かることがみんな誰でもできるのに、自分では分かるはずがない思って、先生に教えてもらわなあかんと思い込んでたら、それ以上が分からんままになってまうで、という警告でもあるわけです」
S「分かった、かな・・・」
T「ま、わしは子供のころ、この言葉を読んで、すぐ孔子さんの言いたいことはこういうことやと分ってんけどな」
S「いまどきのお子さんには、こういう解説をしてくれる大人がおらんとあかんわけやね」
T「わしらの頃と、今では環境がえらいかわてしもとるからな」