主任が指導法を「指導」する

当たり前のことをことさら読まされるのが嫌な人は
今日の日記は読まないでください。


専任Aさんの場合
目の前で授業中に教室から図書室に出てきた
学生を注意せず、そこでネットをやっていた。
遅刻した学生に対しては、事務室で遅刻届けを
書いてからでないと入室させないという
ルールがあるのだが、それを実行できていない。


図書室の一件を発見した主任の指導やいかに?


まず、良いことを教えてやるから来てくれ、と
教員室へ連れて行き、反故紙に図を書く。
基準と書いた横に一本の線を引く。
「学生のいやがることを言わないで、気持ちよく、
専門的に日本語だけ教えていられれば気楽でいいですよ。
しかし、この学校の学生がそれで日本語ができるように
なりますか。最低、この線からおちている人は
注意しなければ、いつまで経ってもこのままですよ。
ほとんどが、この線より下のところでうろうろ
していますよね。(氷山の一角が基準上に出ている
楕円を書く)
あなたは、一生こういう人たちとつきあっていたいん
ですか」
「いいえ、もっと素直でまじめな学生に教えたいです」
「それじゃあ、学生がこうなるように、(基準の上に
楕円が動いた図を書く)先生もやってください。
この線より下にいる学生を見たら、すぐ注意してくだ
さい。気が向いたときしか注意しないんじゃ、だれも
聞きません。公平に全員に同じことをしなければ
誰も聞きません。B先生もわたしもやってるで
しょう。あなただけ甘かったら、そこから崩れて学生
はいうこと聞かなくなるんですよ。一回でも見逃したら、
学校がそうしてもいいと認めたことになるんです。
そのつもりでやってください。
今は、学生に学校全体がなめられてる状態でしょ、
これまでがそうだったから。それで、私がきてから、
学院長とも話し合って、みんなで生活指導を実行して
よくなるように努力しよう、少しづつかえて行こうと
しているじゃないですか。
会議のとき、そうだそうだ、良い考えだと言っておいて
実行しないんじゃ、裏切りですよ。」
「すみません。私は、甘い学校にずっと慣れていて、
なかなか学生に厳しくできませんでした。これからは
注意します」
(ここで、これまでの主任(私)だと今までできんかった
もんがなんですぐできるんじゃ〜い!と切れたりもする
おっさんだったのだが、人間ができてきたので、それも
これもわがままし放題やり放題の学生のおかげっちゃあ
おかげだが、冷静に心構えを説く)
「いいですか、不完全な自分のことを考えると学生に
えらそうには言えませんよ。私にしても自分のこと
考えたらそうそうは言えません。でも言うべきときは
言わなければなりません」
「感情的に激しく怒らなければならないんでしょうか」
(心の中でずっこける、主任(私)。)
「いや、それは相手によって違います。そういう怒り方
をしてもいいのは、信頼関係ができて、この先生は自分
のことを思って厳しく言ってくれていると分かるようで
なければ、関係を壊すだけでしょう。」
「私が言いたいのは、先生は理想に向かって努力している
ところを学生に見せてくださいということです。不完全な
自分も、自分を厳しく律して、これだけのことはやってい
るのだ、と。可能性のある若い君らはもっとやれるはずだ。
やるべきときだ。自分に厳しくできなければ、人をしかる
ことはできませんから」

訂正とお詫び
上記記事の一部の表現に、「専門的な研究に基づいた
授業には意欲的だが、生徒の心理や社会性に無頓着な教師」が
我が校にあたかも存在しているかのような誤解を与え
かねない記述がありましたことを訂正して詫び致します。
ああ、そんな先生でもいてくれればなあ。


予告!
明日も今日のエピソードを書く予定。
もう一件、仕事ができている自覚ある専任の先生にも
指導法を「指導」した。
「昨日やったことをもう忘れている人たちのクラス、
あなたなら、どうする?」