初級が、前項で説明したような到達度だと

「中級から学ぶ日本語」のような、初級の次にやるには
なにかとたいへんな教科書もなんとかなるものである。
(橋渡しをしても、初級と中級の教科書の落差に
 学生がかなり困難を感じ、そこで学習が止まる学生が
 出ることに気づいたのは、関西の4コマの学校に来て
 からであった)


一般的に、初級に比べれば、
中級も上級も本質的にはやることは同じだと思う。
能力試験時代に確立された語彙と文型の積み上げに
読解、会話、聴解、作文の4技能を螺旋的に高度化
していくと考えて良いだろう。
上級になるに従って、生教材が増えるといったところだろうか。


このレベルでは、秋入学で1年半コースの学生と
春入学で2年コースの違いが決定的だ。
試験に関しては、期間が短い方もやることはやっているので、
上位者は差があまりでないが、運用力、特に正確な理解や、
会話作文などのアウトプットの的確さ、扱えるコンテンツの
幅や質は断然差が付く。


わしが経営者なら1年半コースは作らなかったのだが、
「理想の日本語学校」といえども秋入学のコースはあった。
当の学校では最初は初級でも学力の高い者だけ入学させるだの、
初級修了者しか入れないだの実現不可能な約束をして募集に当たった
校長と現場の講師(主にわたくし)と良くもめた。
(どうです? もめるポイントも微妙にひと味違うと思いません?)


さて、本題の「理想の学校」では、中上級はどうだったか?
まず、プロジェクトワークを挙げたい。
1年半コースでも、(この学校で今校長をしている元同僚の発案で)
プロジェクトワークを実施していた。
ゴミ処理問題についての「クローズアップ現代」のビデオを見て、
図書館で資料を借りて参考にして、処理場に出かけて話を聞き、
班ごとの発表もやった。
発表はさすがにちゃんとできる班は少なかったが、全体に
無謀なチャレンジではなかったと言える程度には
学生たちのレベルはそこまで来ていたとは言える。


日々の授業では、2年コースの上級後半ならば、
生教材で、新聞、雑誌、ビデオは当たり前だし、新書や
小説を読めるクラスもあった。
大手の学校の、年間数百人受け入れたうえで優秀な学生ばかり
が集まったクラスなら、これも当たり前だろうが、
こちらのケースでは、
いわば普通の子らでもここまで行けていたということに
注意していただきたい。
あ、でも20人一杯のクラスもなく、
10人プラスαの人数ではあったけれどね。
言わせていただくが、学生の優秀さにあぐらかいっちゃって
もっとのばせる余地が山盛りあることに気づいてあげて欲しい
と、そういう学校では思っていたぞ、私は。


何故か、このころ私が在籍した91年からの8年半、いまどきの
坊ちゃん嬢ちゃんのように、潜在的に学力がなかったり
自己管理できなかったりといった困った学生はほぼゼロ
だった。むしろメンタル面で病的になってしまった学生が
たまに出た。
稼ぐのが目的で来た学生も、山の中の学校で深夜の工場のバイトも
なく、自然と改心せざるを得なかったので、出席率がひどい学生も
いなかった。


最近はこの学校も、良い学生ばかりではなくなって、困っていると
聞くが。
あと良かった点は、造船会社関係のいろいろな国、地域の学生が
来てくれたこと。
中国、韓国、台湾以外にも、ボリビアパラオ共和国アメリカ合衆国
イギリス、ノルウエー、モンテネグロ、オランダ、ドイツ、
バングラデシュ、タイ、フィリピン、ニュージーランド
オースラリア、ベトナム、ペルー、ざっと思い出せるだけでも
これだけいた。


同窓会があって、毎年、全国に散らばった学生が集まるのも
なかなかいいもんなんである。
(別のある学校の卒業生なんて、「経営者の態度を思い出すと
 二度とあの学校には行きたくない」と言ってたりした)


現状の多くの日本語学校は、この学校で私たちが実現していたことに
比べると、どこを見ても引き算になっているので、
何が問題なのか、学生か、講師か、講師間の認識の共有か、環境か、
目標設定か、どこをどういじれば、今あるもので、今いる人で、
よりよく改善できるかは分かる。
つまり、Jリーグ発足当時、プロリーグに最後に加入を認められた
鹿島アントラーズに着任したジーコ監督の気持ちが分かる状態に
なってしまうのだった。


違う点は、私が実はジーコであることに誰も気がつかないこと。
もうひとつは、アルシンドに当たる人物がいないことだ。


ま、いいさ、クラークケントで・・・。
(つっても若い人には分からんか?)