結び

さて、前回まで自慢たらたら書いてきた日本語学校について
最後に書いた良かった点を強調して、ひとまずこの項目を
終ります。


それは、多国籍であったところです。
初級で必ずフィリピン人が混ざったのは意図的では
なかったのですが、結果的には非常に互いに刺激になり、
そればかりか、文化の違うひと同士が仲良く楽しく
交流できる場の雰囲気がかもしだれていました。


その土壌の上に、我々教師の努力が開花した側面も
見逃すべきではないと思います。


さて、私自身、日本語教師としての自分を顧みつつ、
語学教師の資質を大きく整理した場合、つぎの3要素を
挙げたいと思います。
若い教師、若い教師を育てる方に読んでいただきたいと
思います。


1)日本語の運用の達人であること
  せめて平均より上手であること
2)日本語を体系的に把握でき、個々の日本語を
  位置づけられること
  (できうる限り、学習者の母語に通じていること)
3)外国語学習で一定の成果をおさめた経験があること
これは、採用に当たっての選考基準と直接関連します。
もちろん、常識や礼儀や思考力、コミュニケーション
能力など社会人としての基礎は大前提です。


1)について、私は、恥ずかしながら9歳のときに小説家になろう
  思い立ち、読むこと書くことに関しては、学校の勉強以外の主な
  時間を費やしてきました。日本語教師になった後も39歳まで
  そうでした。
  自分なりに良い作品、優れた表現に関する嗅覚は磨かれたと
自負しています。
  ついでに、前に書いた落語、さらに漫才、芝居、映画なども
  自分なりの審美眼でこれは良いと思ったものには触れてきました。
  いずれも根本に、勉強などではなく「楽しむ姿勢」で、です。
  おまけにコピーライターの見習いとして、ある1年間仕事と言えば
  ワープロに向かって原稿作成という日々をも過ごしました。

2)について、私は、単に文学的読み物だけでなく、小学校時代にSF、
  それも小松左京から読み始めたおかげで、小松SFのバックボーン
になった自然科学全般、歴史、文化人類学とジャンルをあげるより、
  あらゆるジャンル、森羅万象に興味を持つ姿勢を、身につけました。
  博覧強記の人では、もう一人、山口昌男という文化人類学者にも
  大学生の頃読みふけりました。
  あまり学問的に深める姿勢は身に付きませんでしたが、結局あれも
  これもやりたいと思う気持をにとりあえずまとまりをつけるために
  大学では哲学を選びました。
  おかげで、科学をも裏から表から見るような目をもちつつ、
  経験や観察を理論化する、体系に位置づける、知識を発展させるよ
  うなことも素人なりにできるようになりました。
  科学的な検証手続きを踏んだり、専攻研究を調べたりはあまりでき
  ませんし、言語学、学習理論などを専門的にやらなかったので、
  厳密性には欠けます。
  しかし、今でも多ジャンルの一般向けの読み物を仕事に生かすよう
  なことは日々実践しております。
  また仕事のうえでの仮説を更新しています。
  

3)については、私はtoeic730で、まだ上級とは言えませんが、
  学習の過程で、教材や教え方、自分の学習法を、仕事に
  生かしている点では、元は取れているかなと思います。
  また、街の有名英語教室ふたつに通って分かったのですが、
  で、また自慢ですが、自分が日本語学校でやっているほど、
  授業料に見合う教育をしているとは言えないことも分かり
  ました。



じぶんのことを自慢するために書いているとしか思えない方も
いるでしょうし、そんなことをレベルの低いことをさらけ出して
恥ずかしくないのかと思った方もいらっしゃるだろうと思います。
私は私です。
これは自分のことなので、当たり前と思ってやってきたことで
しかありません。


言いたいことは、語学教師の取り柄は自分で作るものだという
ことです。
個性と学習とそれまでの人生経験の蓄積がバランスよく醸造されて
できるるのだろうと、思います。
良い意味での競争をもっとしなければならないと思います。
同僚に対してどれほど貢献できるかの競争。




以上です。
終わり。