仕事もしているのですが、


仕事もしているのですがあまり書く事はありません。
時間があるものですから、今日も英語の勉強をしました。


うちのは古くなったので、使っていなかった
研究社の英和中辞典を図書館の棚から出してきて、
ひさしぶりに使ってみた。
これはラテン語の語源が詳しく載っている。
英語を一番良く勉強していた頃に使っていたので、
機能の落ちた疲れ易い目にも、昔のなじみのせいか
苦にならなかった。


TOEICテストの単語力アップ用に出てくる
ラテン語系の語群が、良く似ていて紛らわしく、
記憶するひっかかりがない。ツルンツルン。


こいつらを語源探索クルーズの旅、
ギリシャ文化、ローマ帝国の社会制度法律経済軍事早わかりの旅の
おまけ付きと思って
単語のつながりを見ていくと意外と面白い。
時間の経つのが惜しいくらい熱中してしまった。
こんな勉強を20代できちんとやっとけばよかった。
気がつくのが遅かった。


学生時代哲学科だったので、ラテン語文法は
医学部の学生と、数人の物好きといっしょに
受けた。ほとんど寝ていた。


専門課程で本当にラテン語を読む羽目になるとは
そのときは考えていなかった。英語の他に、
フランス語もドイツ語も原書購読があったのだ、
そのうえにラテン語なんて詰め込みようがない。

ところが、中世ドイツの神秘思想家ニコラスクザーヌスの
「ドクタ イグノランチア」という本を読む事になって
しまった。


学者が、真理を得た<さじ職人>のところに話しを聞きにくる
という設定。「この世界は神自身が自らを展開したものだ」
という基本テーゼに基づいて、さじの作り方だの、真理の認識の
仕組みだのあれこれを話す。ルネッサンスであるから、学者より
その辺の普通の職人、教会の価値観で言うと<平信徒>の方が
物事の本質をつかんでいるというのが、いっこの主張になって
いるのだった。


確かこの人のような考え方を近代ではスピノザが受け継いだ
という哲学史上の貢献もあったはず、クサーヌスは偉かった。


そういうものに不十分ながら取り組んだおかげで、
英語の辞書に出てくるラテン語は遠い親戚のおじさんぐらいには
なじみがある。だから、語源が載っていると、語義の理解や
記憶の助けになってくれる。


英語を本格的にやる人は、ラテン語もやってみるとよいと思う。
ヨーロッパの子供は小学校からラテン語やってるでしょう?
映画でよくある。ラテン語ができる生徒が、鼻持ちならない
登場人物の演出に使われていたり、賢さを印象づけるために
使われたり。退屈な授業風景や、また、嫌味な教師の登場と
いうと授業はラテン語。でも、基礎教養としてカリキュラム
に入っている。必要だから、避けて通れないものだから。


なぜ避けて通れない?


ローマ帝国支配下、影響化にあったヨーロッパは、
各国の王様や封建領主がローマ教会の威光のもと、
進んだ帝国の文化を取り入れて秩序を保っていた、
こういう理解でよろしいかと思うのだけど、
英語に限らず、ヨーロッパの各国語の法制度やら
学術技芸関連の高級の単語はもっぱらラテン語
起源。イタリア人はご機嫌で、ジョローラモ氏が
一人勝ち、となる。


かつて、日本は東洋の大帝国随に学べと知識人を
送り込んで律令制度や仏教や、漢字や漢詩を接種
した、これと相似形なわけやね。


ということは、
英語にとってのラテン語は、
日本語にとっての漢字なわけだ。
漢字抜きでは、日本語はままならない。
ラテン語抜きで英語ができるなんて、言えるのだろうか?
きみはどうだ?