Do you Know what the professional is ?  Part 2 プロの最低限の条件とは、授業を成立させられること


前回は、プロの条件とは、結果が出せる事である、そのために必要なのは、専門的な能力、そして、うまくいった経験の蓄積だという事を書きました。システムとしての学校が、教師、学習者に成功経験をあたえられない場合の「不幸」な現状についても触れました。


教師からすると結果を出す事、これは学習者にとっては到達目標というものに変わります。今日本語を話す事も聞く事もままならない学習者が,たとえばTVで活躍している外国人タレントのように「使える日本語」を身につけるようになるまで、教師にできることは、授業を通しての働きかけしかありません。一回一回の授業をちゃんとできるようになることがプロの教師としての最低限の条件であることは当然です。プロ、プロと言っていますがボランティアであってもやることやったと言えるには同じ事でしょう。さて、この毎日の積み重ねがやがてすごいことになっていくというのが、語学学習のすごいところです。(、、)/


ところで、
養成講座出身、検定合格、授業経験なしという方の模擬授業を、私は立場上少なくとも百人以上は見せていただいたと思うのですが、残念ながら、目の前の学生に対して有効なパーフォーマンスが遂行できるところまで行けてない方がとても多かったです。


欠けていたのは、あらゆる局面に渡ります。
準備段階では・・・
まず、教科書の教えるべき箇所の理解とコースの中での位置づけ(A)
授業計画段階での学習者に対する提示方法の妥当性についての検討(B)
AとBは互いに関連があります。


授業中では・・・


導入部分
学習者向けの日本語の発話のコントロール(C)(練習しなければできるものではないですが、本番で初めて必要に気づいたと思われる方、もっとひどい場合、最後まで気づかないことも)
学習者の反応を見て、自分の働きかけの成否を判定して、次の行動を起こすこと。そして臨機応変さ。(D)(プランの変更、微調整が常に必要とされます。)


ドリル部分
学生への要求が高すぎる。実は導入と関係のないドリルになっている。課題の中に教師にとって思いがけない部分にハードルがある。(E)


こういったことについて、
私は、面接試験を受けた方に、それぞれどこがどう足りないのかきめ細かく説明をしました。そのうえで、追って採否のお知らせをしていました。こちらは最低限授業を成立させられる方に来てもらいたい、それができなければ、せめて、教壇で試行錯誤しながら、できるようになる潜在能力は認められる方を、と思って面接します。問題点があっても、評価とアドバイスを伝えながら、ノートにメモる訳です。


アドバイスの例は以下のようなもんです。もちろん授業はナマモノですから、一概に言えない細かい修正ポイントも多いのですが。


準備(A)
その日の授業をやるにあたって、学習者の日本語力の見積もりに不備があった。
教科書の課題の前の所に目を通す事、その全部を学習者が消化している訳ではない事に留意。質問にあたふたしないためには、その先で学習する関連事項事も知っておかねば。それを見ておけば「後で」と身をかわす事も可能。
日本語について限られた知識と能力しかない学習者に、いかに分かりやすく提示するか。既習と未習の区分け、新規項目のポイントをシンプルに明白に与えること。
(関連情報の量と質を分析し、整理し、加工するスキルが必要です)



表現とコミュニケーション(B、C)
スピーチコントロールは早さと語彙だけでなく、一回のセンテンスの長さ、
言いたい内容の複雑さにも注意する。その限界内で言える事は限られるのだから、
表現できない事を伝えようとしない。板書の見せ方、例文の理解など、学習者は
教師に気を使って、分かってなくても「分かった」と言ってしまうもの。導入の後は必ず「本当に分かったか」確認するテクニックを磨きましょう。


提示する項目について、目の前の学生にとってそれがどの程度、やさしいか難しいか計りつつ、提示の仕方を調整しながら進める。
このことは、経験のない方に求めるのはやや厳しすぎることですが、プロならできなけりゃ。


もう少し単純だけど経験がないと見過ごしがちなこともあります。
教科書のどこをやっているかついて来れていないのを見過ごして、進めてしまう事や、似た例では、例文を口頭だけで言って板書せず、学習者の処理能力の限界を超えてしまているのに気づかず、反復させようとするような事。


人前稼業(by山下洋輔)全般に通じることとして、明るく、笑顔で、失敗してもパニックにならず、相手の考えや気持を常にモニターし、共感をもちつつ、表現すること。


学習者の反応に合わせる臨機応変(D)
これは経験を積まないと難しい事です。しかし、修正すべきポイントを見逃してしまうことは、学習者のステップアップの好機を逃してしまっていることになります。その日の課題である学習項目と直接関係なくても、既習事項の間違いや誤解の重大なものは直さねばなりません。
(模擬授業という試験形式の限界かもしれません。まあ、模擬授業受検者へのアドバイスと思ってください)


ドリルの適正化(E)
学習者をよく観察して、音声要素、語彙,文型、文構造、内容、場面の提示、その他もろもろの点で、口頭練習なり、書き練習なりのハードルが高すぎないか、易しすぎないか、注意する。不適切なドリルの変更は、その場でどんどんやる。



それでは、どうやって,スキルやテクニックを養うのか?
経験がなくとも,せめてイメトレ、シミュレーションを養成講座の講義や独学のネタについて実行しておきましょう。理論と実践という言葉がありますが、日本語教育関係の理論は、どこでどう使うか,考えながら身につけていかなければ意味がありません。
教壇にはクラシックの演奏家のように、教科書という楽譜をよく読み込んで舞台にのぞみ、そのうえで、オーディエンスの反応に合わせてアドリブプレイのできるジャズミュージシャンの変幻自在さも要求されます。これには舞台経験の数と舞台度胸がものを言いますけれども。


そして、この項目の最後ですが、単なる付け足しではない重要な事として、必ず一回一回の授業で、学習者が持って帰るお土産を提供する事。不発に終わる授業もあります。そんなときでも、なにか、次回へのやる気とか、予告編でお愉しみなものをほのめかすとか、今日は成果はなかったが、がんばって理解しよう、できるようになろうと努力はしたという充実感とか。
私がよくそう言う授業の後で言うのは、「敬語が(または、使役受け身が)難しいことは分かりましたね。それが分かれば,今日は良いですよ〜。この後も中級になっても、何回も練習しますから」
もちろん、知らなかった表現を知って幅が広がったとか、使えなかった表現を自分の言葉として使えるようになったとか、そういうのがある方が良いです。語学の場合、苦痛も伴いますが、比例して学ぶ事そのもののの喜びもあちこちにあるものです。


プロですから、一回一回結果を出す。出せなくとも次につなげる。


次回以降の予告をかねて、ここでプロの理論と実践で「熟知しておくべき事」を挙げておきましょう。まず、日本語そのものについて、特に学習者の視点での各学習項目のひとつひとつの分析と他の項目との関連づけ、提示の方法。それが載っている日本語教科書、その利点と抜けてるとこ。外国語を実際に運用することについての理解、そのトレーニング法。学習者の学習過程と動機付け。教授法。評価法。教育能力検定のコアな部分をもう少し詳しく、実際に教える観点から言うと、こういうことになると思います。その他の周辺的関連知識も、もちろんあった方が良いものです。