Do you Know what the professional is ?  Part 4  日本語教師のスキルのコア ー理解させる技ーその1

その中でとくに日本語で日本語を説明するときの大技小技を紹介する。本来方法論として体系化して提示したい所だが、今回の記事は、その試論と思っていただきたい。


当たり前のことから始めて、せっかちな方にはすまないが、初級の語彙と表現、文法、見合うレベルの会話表現、さらに、見合うレベルの聞く話す読む書くの四技能の運用力を身につけた学生を相手に、中級上級の日本語教材を扱っていく場合、日本語ネイティヴの教師が日本語で授業を進ていくものとする。


私はここで、突如として、自身のスキャンダラスな事実を、逆に自慢たらしく赤裸々に披瀝するのであるが、もちろん、エロス方面の話しなどではなく、教師としての私の、聞くものによっては信用していたのに騙されたなどと思うかもしれぬ事だが、いや大丈夫、さてそのことは・・・私は授業前の準備などほとんどやらなくても学生の要求に十二分に応えうるだけの日本語の体系の整理された情報とその与え方の「作法」を身につけてしまっているということである。


急いで付け加えるが、必要はないと言っても、授業をより確実に、またよりよいものにするために準備するかどうか検討する事は実行する。のであるから、決していつも楽をしている訳ではないし、この境地に至るまでは、新人時代から準備はしていた。ただし、自分なりの教材分析で結論に至ってしまうことの方が圧倒的に多く、参考書の類いを参照する事は,比較的少ない方であったろうと思う。とうことで、スキャンダルでもなんでもないのである。昔、かまととの同僚になんとなく言葉を尽くさぬままこういう内容のことを言ったら、騒がれたのことが私をしてこのような表現をさせたのだ。このコラムは日本語教師としてのスキル形成の過程を振り返り、自分なりの分析方法をまとめ直そうというものである。


ある有名養成講座の主任氏で、「下調べしすぎて、授業で考える愉しみがなくならないようにすべし」とのご意見を述べるお方がいらっしゃると仄聞するが、私も同意見である。
しかし、そうは言っても、授業を深く展開する構想も、学生に伝えるべき関連事項のネタもないもんだから、「分かりましたか」とか「この意味は知っていますか」なんて、いちいち学生にお伺いを立て、初めて見る単語の意味をろくに手がかりの例文も与えずに「考えさせている」時間泥棒教師がいるが、(本人は「民主的授業運営」とでも勘違いしているのかもしれない)、そういうのはいけない。知らないことは教えなければ分かるわけがない。忘れた事は、せめてきっかけを与えなければ、いくら「うーーん」と苦しんでも思い出せる可能性は低い。時間を有効に使わねば。こんなのはペケである。


いよいよ本論に入る、よ。
語彙であれ、文型であれ、直接法の原理からして避けて通れない新規項目の説明手順というものがある。それは、当日の授業で説明すべき新規学習項目を扱う場合、なにはともあれ、既習の日本語でもって説明することだ。一応私は、教科書の語彙文型の提出順序は、大きな問題はないと思っている。はじめの方がより原型的な項目で順番通り積み上げていくのに大きな不都合はない内容に作られていると認めている。欠陥は他にあるのだが、それはまた別の所で扱う。


もちろん日本語教師は初級でどんな語彙や表現を習ったか、どの程度学習者が理解したかを分った上で中上級の授業を進めていく。


中級上級レベルの語彙や文型などの説明していくに、適当な「定義語」を駆使する事になる。
たとえば、いまたまたま手にした本から「くつろぐ」という初級以上の単語を取り出してみた。
説明手順は、まず、例文だ。「日曜日の昼、部屋でくつろいでいます」


学生が知っている語彙を使って、やさしい日本語に置き換えて説明してみよう。「ゆっくり休んだり、力をつかわない楽しい事、音楽を聴いたり、TVを見たりしています。そして、気持ちもゆっくりしています」次に類義語だ。学生に言わせても良い。


「のんびりする」と同じか違うか。意味が同じ(重なる)所は何もしないで気持がゆっくりしているところ。違うのは(重ならない)のは、「くつろぐ」のほうは特に自分の家か、自分の家のように感じられる場所で「ゆっくりする」ところだ。
証明的に、「私は推薦が決まっていたので、高校生最後の夏休は近くへ小旅行をしたり、のんびり過ごした」と言えるが、ここに「くつろいで」は入れられない。などの例文を出す。リラックスできる特定の場所に居ることが、「くつろぐ」という語彙使用の前提条件にあるようだ。リラックスというカタカナ語も、類義語として触れるかどうか、その場で臨機応変に判断しながら、授業を進めていく。


次に進む前に、ここで「気持ち」「家」「場所」などこういった抽象的で一次的で具体的な言葉を束ねる次元にあることばが、するする駆使する事が「説明ができる」教師の第一歩であろう。当たり前すぎる?ごめんどすえ。こういうの言葉をとりあえず「定義語」としておくのでね。では次へ進もうか。


取りあえず、「くつろぐ」=「のんびりする」+「家など」(ー外)のような方程式ができた。


このような提示の仕方は単純化し過ぎだろうか?
純化は、分りやすさ、授業の満たすべき実用性の観点からは「良い事」だが、「言葉」という意味が伸縮するから使えているもの、また容易に反転すらするものの扱いとしては絶えず注意が必要ではある。


大体意味の定義的な作業が終ったら、使用例の提示へ進む。もちろん、両方平行してもわるい事はない。私としては、なるべくコアになるような意味の中心を抉りだしてから、そのにちに派生的な意味や、その派生的な意味にのっかってできた生活でよく触れる使用例などへ進むのを好む。


真っ先に浮かぶのは「自分の家だと思ってくつろいでください」ではないか。
学生向けには「自分の家/部屋なのに、数年ぶりだったので(悩み事があって)よくくつろげなかった」(ついでに活用形も確認。この場合、可能形で出てくるニュアンスも大切そうだ)
漫画的な状況を想定するなどで「こら、お前、自分の失敗を謝りにきとんのに、なに茶なんか飲んで、くつろいでんねん」状況説明をつけて、こういうのも出す。


私は語源には立ち入らない。そこで出てくることばが、学生のレベルに合わないので。いや、正直に言うと、めんど臭いからだった。しかし、関連する語彙が意味のネットワークを形成し、学生のレベルやそのときどきの受け入れ態勢に合っていれば、関連語彙はできるだけ並べ立てる。
反対語。「かたくなる」「あがる」「緊張する」「かしこまる」「しゃっちょこばる」などが浮かぶが、あとの二つは思い浮かんでも、ちょっと難しいことの方が多いだろう。


必要な場合は、語のグレードも示してやらねばならない。フォーマル、インフォーマル、書き言葉話し言葉、昨今では世代の違いで語の使用不使用の差が大きいので、若いもんには通じるかどうか、良い意味で使うか、わるい意味で使うか、好きなときか嫌いなときかなどの、価値の軸とプラスマイナスにも触れよう。「くつろぐ」の場合、本人に取って主観的に好ましい状況を表すから、価値は気持よいかどうかの軸の上で+ではあるが、上の漫画的な状況的文脈ででそれを外から見て、−にとらえた表現にもなっている。


読解の場合は、テキスト内での以上を踏まえて、筆者がその単語をつかったことにさらに特別な意味を込めているのかの判定など。


小一時間「山下達郎のサンデーソングブック」を聞きながらアドリブで徒然なるままに,ここまで書いた。「くつろぐ」の説明で、問題アリと思われた方が居れば、指摘してくださればありがたい。こういう具体例をいくつか連載して、皆さんに方法論として提示できるものを掘り出していく一歩としたい。と言っているうちに、推敲にさらに一時間かかってしまった。


今回のは教師がどう刻むかに焦点を当てているが、学習者の理解の仕方の傾向も実は大事だ。概念を組み合せて、分析的に説明されることが「理解」だというタイプの学生、直観的にビビッドな例文を与えられ、それを自分も言える事が「理解」だというタイプの学生。一般に、後者が多いのだろうが、クラス編制によっては、前者の方々の集まりのようなクラスができることもある。


では,今日はこれにて。