写真を整理して過去の日本語学校学生たちとの思い出がビビッドに蘇った話


部屋を片付けることが滅多にない私ですが、なぜか俄然やる気が出て、レギュラーの回収もまだるっこしいので、軽四のトラックをレンタルして、市の焼却場へ直接持ちこんでかなりの不要品を一挙に処分しました。普段さぼっている証拠なので自慢にはなりません。そのついでに前々からやらねばならぬと思っていた写真の整理とアルバムへの貼り込みに手を染め、金曜の夜から、土曜日の午後から夜まで、さらに、日曜は朝からかかって午後四時にてようやくのできあがりとなりました。凝ったことはなにもしていません。思い出に浸って作業中断・・・とんでもない。そんなことやっていたら、時間がいくらあっても足りません。ただただ量が多かったのです。高校時代から47歳の今までの全期間の写真を一挙に整理したからです。かかった時間のほとんどは、時系列に並べ直す作業でした。これまでナマの記憶力のみで過去を振り返ってきた私ですが、もういけませんでした。思い出せなくなっており、なにかにすがらなければ、ナマの記憶本体もやばい感じになっていたのです。


なぜやばいと思ったかというと、弥勒の里日本語学校(*過去の該当箇所参照ください。ついでにホームページにリンク張っておきました)というところに、30歳になって勤め始めてからの日記を読み返したのですが、想像していたよりも記事が少ないのです。そのころは色気もナマだったので、そっち方面の記述が中心で、肝心の「キャラの濃い」スター学生との交流やエピソードが十分な量がなかったのです。


それでは、どうして日記読み返したかというと、エピソード量を欲しているかというと、はい、そうです、このブログをしっかりまめにこつこつ読んでくださっている奇特な方なら分っていただけると思うのですが、そうでない方のためにも、今すぐここでさらけ出しますが、文学的な気持がいろいろ刺激され高揚したので、ブンガク的に過去のエピソードを発表してやろうとの魂胆から、「とちくるって」中村光男の「日本の近代小説」「日本の現代小説」柄谷行人編「近代日本の批評」の明示編と昭和編を読み、そのほか、荒川洋治文芸時評をまとめたヤツや、大江健三郎の若い頃の作品や、伊丹十三の最近出た関連本2冊やら読み、そうこうしているうちに、専用の執筆用ノートもこさえて、(コクヨB罫百ページを320円で購入)滅び行く我が記憶の蘇りを記し始めたのでした。


私の写真は9割以上「ひと」が、「ひとびと」が映っています。自分で撮ったものは少なく(私は写真を撮る習慣がありません)その場の誰かのスナップをいただいたものばかりなので、公的私的を問わず、ほとんどがイベントがらみです。しかし、日本語学校には毎年特別に強烈なキャラクターがおいでになり、深い印象を刻まれたので、久しぶりに見る写真で印象がビビッドに蘇ってほとんど「今」が霞んでしまうぐらいでした。両手に余るあの人この人が身近に居たときの、それぞれの、そのヒトならではの味わいを反芻しました。機械的な流れ作業のなかでも、それはあったのです。ずっと見直すことをしないで、溜めに溜めて見たわけですが、どっと八年半に渡る多数の人びとの<それ>が沸き返りました。頭の中は大規模な同窓会でした。しかし早送りし過ぎた記憶の再生でました。つまり、八年半のうちの大きな結び目のような記憶は蘇らせたけれど、ちょっと良い話し、程度のB、C級の大切なことはまだ意識の表層には浮かんできてくれてはいません。おお、プルースト!そなたの作品は一行たりとも読んではおりませぬが、ごくろうなこっちゃのう。


今でも、私のとっておきの話しとして、折に触れて、人前で披露している話しも幾つかあり、それはこれからこのブログでも紹介していくつもりです。


以下は業務連絡。当時の関係者の皆様、もし、あの話しは伏せておいてほしいなどとお考えの出来事などありましたら、お早めに私のところへストップをかけにきてくださいませンニョンはよせ〜よ。また、反対にあの頃のあれはどうだったんだという質問や確認、エピソードのリクエストや投稿もください。待ってます。