道でばったり


河合隼雄村上龍にダメ出しに行く」(心痛文庫)を梅田のジュンク堂で買って、インデアンカリーでスパカリーでも食べようか、それともサブウエイでダイエット食にするかなんて思案しながら歩いていたら、非常に懐かしい学生時代の友達に、ばったり会った。私大の講師として倫理学を担当している友達だ。会うのは何十年ぶりだろうか。仏教と西洋哲学の両方をきちんと研究したいと言っていたが、最近は、認知科学の分野と非言語的認識と言語との関連付けを学際的に研究しているそうだ。もっとも力を入れているのは、言語モデュールと五感や運動認知などの内的認知モデュールなどでのそれぞれの相互関係の記述の可能性を検討しているのだそうだ。メルローポンティが導きの糸になるかと読み直しているんだと。そこらで飯でも食おうかと歩き出したら、京都で出版社に勤めていたときによく飲みに行った同僚と、ばったり会った。盆栽、詩吟などの趣味の雑誌を幾つか編集しながら、「男の華道」がそこそこ売れたので今度は「男の茶道」というのを新たに企画中とのことであるが、また、近畿圏在住ライターの単行本の編集もやっているそうだ。早速、講師の友達に本を出しませんかと勧誘を始めた。話すうちに三人とも、こってり系の料理が食べられてじっくり話したい空気になっているようだったのでヒルトンホテルの上の中華へいくことに話しがまとまり、歩き出す間もなく、またまた、ばったり、今度はリクルートの下請け時代の広告制作の営業兼ディレクターをやっていた知り合いに会った。会うのは何十年ぶりだろう。今は別の広告会社で人事を担当しているそうだ。いやあ、みんなそれぞれにおっさんとなり、それなりのポジションでがんばっておるものだ。自分の開店休業状態の個人会社のことなど言うのも恥ずかしい。私はちょっと気後れして、三人が初対面の気恥ずかしさを饒舌で雲散霧消させようとなっているのを後ろから見つつ、みんな、どちらかと言えば口べたでシャイなくせに無理しやがってなんてながめつつ着いて行っているところを横から「いやあ、朱任さんちゃうのう、ひさしぶりー」笛を鳴らすような甲高い声で名を呼ばれ、びくっと身を縮めたが、みると、大阪の日本語学校の元同僚で、今は国立大学の留学生センターで助教授をやっている**ではないか、会うのは何年ぶりだろう。一応儀礼的に誘うと「これもついて行ってええかなあ」と連れの男性を指すので、「もう、こうなったら、一人増えるも2人増えるもおんなじやし」と皆が言っていると「あのう、さっきから気になっていたんですが・・・」と声をかけてきたのは、小松左京御大が顧問で、故荒馬完先生主催の文芸道場「創翔塾」でいっしょだった今は国家公務員の**だった。「朱忍さんではないですか.私のこと覚えてくれてますでしょうか」「うわ〜、今日はいったいどういう日や、こんなに、久しぶりの人が偶然一同に介するなんて・・・」「これが夢なら・・・云々は禁句やで〜」哲学者が言った。「はははははは」みなが屈託なく笑う。幸い、目指した中華料理店は予約なしでテーブルが空いており、皆が座って注文を始めた時点で隣りのテーブルが騒がしい。ベトナム定住センターで教えていたころの教師の集いで、知っている人ばかりであった。早速、ワークショップのドンだった**先生にあいさつした。四十代独身の比率が高い男性グループとこれまた同世代の独身女性の比率が高いグループの急遽お見合い風コンパになっていった。食事の後も全体が別れがたい空気はもう誰も口に出さずとも明らかで、業界人の広告屋が貸し切りでベストビューの隠れ家的店を押さえたで〜と報告をあげた。のんびりデザートを食べていた女性数人も,次が決まったと聞いてピッチをあげた。おお、全員行く気のようだ。次の店での更なる盛り上がりに期待が膨らむ朱忍であった。


・・・みたいなことがないかなあ。


現実世界では、以前勤めていた日本語学校の同僚にばったり会って二時間ほど話したのだが、あいも変わりませぬ愚痴話を拝聴したのであった。リーダーとして意思決定するポジションにある人が、私的な金銭欲や名誉欲などへの「とらわれ」が重篤な場合、メンバーは浮かばれません。「リーダー」のことを「上に立つ」、メンバーを「下のもの」などという言い方をするところも多いが、その意識あたりから変えていかなくちゃいけないだろうね。もし、リーダーになった人が自分なりの理想があったとしたら、あるいは、個人的に「こうしたい」という野心があるのなら、まず、身を粉にしてメンバーみんなが心からリーダーについていきたいと思うところまでは我を抑えて組織に尽くし、メンバーのみんなが腕を振るえる仕組み作りとそのうえでの経験の共有を積むことが先決だ。それが、まずもってリーダーの証明となり、実質的な承認が得られる。我を出すのが許されるのは、それからだ。実際には、自分は有能だという幻想に「とらわれ」てしまっているリーダーはメンバーに向かって結果を出せ結果を出せとは言うが、そのために自分がなにかするという意識は不足しており、やり方が分かっていれば人に言われずともできるものなのだが、やり方が本当に分かっていない人、心の底で自信がない人などは、自分が無能である証明を怖れるあまり、メンバーの欠点にばかり目が行ってしまい、欠点の是正を迫ることに気を取られる。(採用にも関わってた癖にあれがでけん、これがでけんとぶちぶち言いやがって、会社については吹き捲くってたのによ)そうするとどうなるか。現実に存在する人的資源や今の条件で出せるはずの結果すら出せず、誰かの所為にしたり、邪魔ばかりしてしまうのである。自分が有能だと思い込んでいるリーダーが実績を出せてないところなんてのはは、えてしてそんなものだろう。条件が悪い?この時代にこのポジションについたのが、運が悪かった?それは愚痴だ。OK。現状に対処できるやつ呼んでくるから、そこをどけ、愚痴を聞いている暇はない・・・なんて、一度言ってみたかった。