ばったり出会ったで、思い出したのだが・・・


去年の暮れ、高校時代のクラブの先輩にばったり会って、話が弾んだ時のこと、どこからそんな話になったのか、ちょいと前なら分別盛りの大人のしないような47歳と50歳が青臭い会話をしていた。お互い昔の同年齢に比べたらまだまだ成熟からはほど遠いのだろう。次に紹介する話以外にもいろいろとっぽい議論をしたのだが。
「**さん、人類60億人のイメージを持ってはりますか」
「うーん。ないね」
「ぼくは、ありますよ。自分のからだっていうのは、わたしに属してかけがえのないもんですわね。その延長に、彼女とか、ペットでもいいんですが、自分の身体の延長上のかけがえの存在っちゅうもんがあるやないですか。自分の部屋の大事にしている楽器とか本とか机とかも、かけがえのないからだの延長のかけがえいのないもんで、それが住んでる家になり、隣近所になり、それ以上というのはイマジネーションでどこまで広げるかは、人それぞれですが、ぼくは地球をぐるっと一周させまして、そのうえに、今生まれたり死んだり、泣いたり笑ったりしてるはずの一人一人、自分と同じ種類の生きもんに属するやつがいてることを、思い浮かべますねん。ぼくらが中学ぐらいのころ、地球の人口36億ていうてましたが、そのころから、自分は36億人のなかの一人であることから、考えたり感じたりすることもちょいちょい始まってました。当事者である感覚を地球大に拡大しますと、世界のいろんなところでいろんなことやってるやつのこと見聞きした時に、ひょっと間違うたら、あれはおれやったかもしれん、と思うこともあります。不幸な目に合うやつ、悪いことしてつかまったやつ、爆撃してるやつ、爆撃されて息絶えるやつ、自分がそのどれであってもおかしくないと思うと、おもろい。おもろないですか」というような趣旨のことを話した。想像力を現実を把握するために使う方法と考えている。現実に自分に不利益がもたらされるような場合は別だが。
この高校時代の先輩とは、たまに路上でばったりであっては、普段の身の丈以上のことを話してしまう。すごいことを言おうとして、じゃっかんフライング気味にでかいことを言ってしまうのだった。背伸び。