インドネシア語文法入門を読んだ


今度、企業からの発注でインドネシアの方々に日本語を教えることになる予定なので、早速文法書を手に入れて、読んで見た。


昨日の日曜は、
難波で正午をはさんでレッスン、どうしても手に入れたいと思った「歴史を変えた気候大変動」という本が、関西空港近くのりんくうイオンモール旭屋書店にしか在庫がなくそいつを取りに行った。帰りは奮発してラピートβ500円特急券が必要を利用して、前夜の睡眠不足を解消した。貧乏なのに贅沢をしたのは、三宮でかつての同僚と約束があったから。


そんな電車移動の行ったり来たりで、ざっと日本語の解説部分を中心に読み飛ばし、基礎文法のあらましをつかんだ。文法書をこんな読み方したのは始めてだったが、参考になったと思う。コツは、例文にあまり引きずられず、日本語の解説中心に読み進めることだ。学習者の読み方ではもちろんない。プロの日本語教師に許される飛ばし読み。今後、こういう読み方で、これまで挫折したいくつかの本棚に眠っているのを読むだろう。
今日は「基礎タイ語」にざっと目を通した。タイ語は文字が読めるのと旅行会話程度を社会人になりたてのころやって、個人的には海外最多記録の3回も訪れたと言うのに、その文法の本は、今日やっと一応の通読をした。


もちろん、インドネシア語タイ語の実力も、こんなことをしてもいっこうに上がってはいない。それでもいいのである。


次は韓国語入門もざっと読むこととにしようと思っている。文字はまあまあ読めるのである。旅行会話程度にはできるのである。そうそう、中国語もな。ついでにギリシャ語とラテン語ウルドゥー語なんかも。そうなると、スワヒリ語とかバンツー語とかも見たくなってくるんでしょうなあ。
この,何かを少しでもやると,芋づる式にまたなにか知りたくなるという際限ない迷路に踏み込んで行く構図は何なんでしょうか?


昨日の難波で、喫茶店内で生徒さん待ちの間、左隣の若い女性二人組は中国語で、雰囲気から察すると生活上のなにかのトラブルについて年上がアドバイスをしているように聞こえ、右隣のこれもまた若い女性二人組は観光で日本に来た若い韓国人女性二人組で、旅行案内と地図をテーブルにおいて大阪攻略プランの練り直しをしているような感じだった。
私はというと、インドネシア語文法をさらさら読みつつ、おおー、英語のbe動詞に当たるものがないとは、これいかに。元々「は」や「が」はなかったのではないかともいわれる日本語のプロトタイプに近いのでは・・・などと刺激を受けつつ、飽きたら、中国語に耳を傾けつつ、自分は今上海に観光に来て歩き疲れて休んでいるところという自己暗示にひたり、それに飽きたら、韓国語に耳を傾け、ソウル市内のおシャレな街角で、シッケなどを喫しているところと空想に浸ったりしていたのであった。


生徒さんの中には、帰国や日本以外の土地への旅行やなどへ、そろそろ出発し始めるひとも多く、どこにも行けない私は、想像で楽しむんである。中学にあったなあ、机上旅行部・・・。今考えると冗談みたいな部活だが、まじでやっていたのである。私はそのころは何でもバカにする嫌みな若者だったから鼻で笑っていたが、今はそれをいい年をしてやっているのである。


インドネシア語は活用がなく、時制や法も、副詞的な語を文にくっつけるので、学習にやっかいな要素は構文や規則のところにはない。しかし、それでは終わらないのが、自然言語の嫌らしいところだ。文法書の筆者も、インドネシア語の文法の主要部分は、接頭辞、接尾辞にあるなどと書いている。名詞にも動詞にもいろいろくっついて、ややこしそうである。これが発達して多様かつ豊富な表現力を担っているようだ。


インドネシア人が日本語を学習する場合の困難な点は、文字、活用あたりだろうか。しかし、ジャワ島出身の方が多いとも聞いているが、ジャワ語の文法書は唯一みつけたものが6000円で高くて買えなかった。ジャワ語の文字は難しそうだ。文法はインドネシア語ともかなり近い感じであった。


ほかにインドネシア語の特徴で気がついたのは、入門は簡単そうだと言うことだ。声調もないし。文字もアルファベットだし。発音も難しい子音もなければ母音も多くない。やはり接頭辞接尾辞が慣れるのには大変なんだろうと思う。


たしか「語学で飯を食う」と言う本の日本語教師のコーナーに、相手の国の言葉をしっかり知る必要があると書いてあった。当たり前のことだと書かれていた。当然の義務であると。
それを読んだ当時の私は、そんなことは実行していなかったので、(良心の命ずるところにより、関連の文法書や会話入門なんぞは、好きな言語に関しては、手に入れてはいたが、中身を見ることはあまりなかった。そんな本が、累々と本棚の一角を占めている)てやんでえ、学習者の中間言語の間違いは、母語の干渉の相関が薄いものもあるんでい。これそれあれの間違いなんぞはな、バーローとか心のなかでつぶやいてごまかしていた。


しかし、今回やったような読み方であれば、可能だ。ご同輩の皆様には、この手がありますよとお知らせする次第だ。
それから、こんな読み方のスキルは、どうやら日本語文法のもっとややこしい専門書に触れる機会が増えたことで、脳の拒絶反応が薄まって来たせいでもあろう。


昨今、なにかをやるとなにかのゲインにつながるという経験も多い。
暮れだったか、正月だったか、右脳と左脳交流を活性化すべきであり、また事実そういう年にありそうだという予感がしきりにした。
これまで、別個に雑食してきたあれやこれやが、大きなネットワークを形成して数枚の絵に統合されつつあるとも感じている。


ついでに「みんなの日本語」に部分的に作りが似ている「インドネシア語レッスン初級」1も買った。、CD付きのものが文法書以外にいっこほしかったからだ。まったくどうでもよいようなことだが、聞いていて、あるCMに声を提供している外国人タレントは、日本語の癖から考えて、これかもしれないと思った。なぜかイラン人を連想していたのだが。



昨晩は、かつての同僚とかつての学校の思い出を話し合った中から、次回辺りでとっておきのエピソードを紹介します。
みんな辞めていて、共通の頭痛を抱えていたので、自由に話が出来た。おもしろかった。