日本語学校の授業とプライベートレッスンの比較考察


<まえおき>
前回興奮して日本語学校を辞めた理由を書いたりしたのだが、それはあくまで業界の一部よくない部分の経営上の問題であって、日本語学校で行われている語学教育の内容(業界の一部よい学校では当然実現している)は、社会的にもいろいろと意義のあることだと思っている。


一年以上プライベートのクライアントに接して来て、プライベートレッスンの本質に関わる問題に注意が向いて来たところだ。これまでは経営どころか生活が成り立つかどうかという分岐点で、私自身、授業の内容やプロとして実績と言える結果につながるかどうかを不問にしてきたことは認めざるを得ない。


日本語学校の授業の経験だけでは、すぐにはプライベートの日本語教師でゴザイマスと言って通用しにくいことがここまでやってきて、徐々に明らかになって来た。気づくのが遅いのは、ひとつは様々な自己欺瞞もある。学生の側に理由があるとして、問題解決を考えない,従って有効な実行手段も考えない、実行しない、そういった致命的な欠陥を漫然と放っておいた。


むしろ、ぎりぎりとはいえ生活が成り立つところまで持って来れた今、「仕事」としての厳しさにもう一度向かい合わねばならないところに来たようだ。先月と今月のブログの記事を見て,自分の中のマネージャーは、そろそろおりの出番じゃな、こり以上の放埒生活は危険じゃ、と考え始めたのである。


<ここから本題>
両者の質の違いの根本は時間数の圧倒的な違いだ。日本語学校の授業では、
ステップ1:理解
ステップ2:理解確認のタスクによって理解を深める
ステップ3:口頭練習(一人スピーキング+ロールプレイなど会話練習)、書き練習、読解練習、聴解練習、
      場合によっては統合的タスクなどなどの、豊富な運用練習
ステップ4:復習の小テストの日々の積み重ね
ステップ5:定期的テストによる日本語能力の伸びの評価


これだけのことをやるのに、
*週当たり最低15時間から25時間/一ヶ月を4週として、60時間から100時間/一年10ヶ月授業するとして、600時間から1000時間


プライベートの場合、働いている人から専業主婦まで、日常いろいろやることがある。
生活の中では日本語をそれなりには、実際に使っているものの、


*週当たり最低1時間から3時間/一ヶ月を4週として、4時間から12時間/一年10ヶ月授業するとして、40時間から120時間


上記のステップで言うと1と2で終わってしまう。


圧倒的に運用のためのトレーニングが足りない!


特にアウトプットの練習がぁ・・・あぁあぁあぁ・・あぁあぁあぁ・・・あぁあぁあぁ


恥ずかしい話だが、私の場合、宿題の他に、各自の家で自習できる時間を聞いて、それに合わせて自習用教材を決めて、自己管理用自習進度チェックシートを渡すところまでやっているが、このフィードバックをやったことがほとんどない。自宅の自習は、たとえやる人であっても自分のやりたい勉強だけやってくるのが実情だからだ。


ああ、ここで、ここで、ここでっ!わたしが負けていたのであった。


現クライアントのお一人お一人の顔を思い浮かべて、もっぺん、改善案を練った上で一人一人と話し合いをしよう。レッスンと自習管理のやり方を考え直すときだなあ。思えば、最初期の数人が自分で自習しないタイプで、そのスタイルにおりが適応したのが良くなかったのだなあ。


全員コミュニケーションにはそれほど不自由は感じていない。
Kさんは、1級チャレンジだったが、今は中級読解入門をやっている。(英語教師)
Nさんは、2級チャレンジだったが、3冊目の2級総合教科書に入ったところで、今年、初の能力試験に向かおうとしている。(英語教師)
Lさんは、「みんなの日本語1」を全部やって、2に入ったところ。(英語教師)
Qさんは、日本語学校で中級を終えたものの、「文法に弱いあなたに」と「中級読解入門」が終わって、2級文法に入ったところ。(主婦兼事務、ときどきビジネスパーソン)((この方の現状を見て、今回の反省につながることになった))
Iさんは、仕事上の表現を質問して、わたしが答え、説明し、有用な関連表現を紹介、解説するレッスン。(通訳の仕事)
Bさんは、翻訳者になれる実力で、近代文学を読んできた。(英語教師)
企業研修生は初めたばかり。初級前半終了と初級終了後2級少し。
今日から始めたZさんは、日本語学校在学時の2級取得が20年近く前、その後短大大学社会人。基礎復習しながら課題探索開始したところ。


日本語学校には、使える用材が豊富にあるが、プライベートでは教師側にも、学習者側にも不足がちである。
日本語学校の学生は高卒の若い人が中心グループだが、プライベートでは成人で社会経験は豊富だが、家での学習時間はそれほど取れない。
日本語学校の期間と目標は一体化していて、集団でゴールに向かって行く運動への巻き込み効果があるが、プライベートでは一人一人期間と目的設定が不明瞭になっている。(←これはわしの責任だ。研修生はクラスがあり、期間と目標が定まっている)
日本語学校ではレッスン自体がクラス単位なので、個人的に出来ないことも隣の人ができてやってみせることにより、できるようになったり、理解できたりするが、プライベートでは、学習者の資質に発する弱点の克服、偏りの修正は苦手ポイントであるだけに教師が口で言ってなおすには難しいことが多い。


今日の新学習者の方とは、レッスン後カウンセリング的な話をした。
ポイント1
社会人なので、言葉の問題がすべてではない。人間関係に問題が生じることは考えにくい。コミュニケーション上も言葉が間違っていないかより、むしろ人柄、マナー、信頼できるかどうかに相手の意識は向かっているだろう。反対にネイティヴでも言語能力とは別の表現法に問題があるために人間関係がうまくいかない場合だってある。


ポイント2 
通じないことではあまり悩んでいない。さらに、理解しにく場合はさらに少ない。分からないときの聞き方も知っているし、必要に応じてできているから。多分、今後修正して行くことになるのは、1)初級項目も含めた語彙と文法、文型の正確さと、2)場面やニュアンス表現の適切さが課題となろう。
修正点の発見のために、学習したことの復習と平行して、アウトプットの練習をたくさんやりましょう。
教える側としては、専門家の視点で直すべき箇所を見るが、それだけではなく身の周りの日本人の印象をよくするポイントも押さえるようにする。


ポイント3
アウトプット練習の反復は、普通考えるよりも回数は多いと思うべし。
私の念頭にあったのは、國弘正雄先生の中学教科書400回朗読、市橋敬三先生の短い例文一個につき最低60回、ハイチの英語教育例文百回(斎藤孝先生ご紹介)などである。日本語学校のようなトレーニングが出来ないケースへの対策として、具体的に有広氏絵のありそうなのは私の思いつくのはこれくらいである。
日本語をさせる場合、わくわく文法リスニングの例文60回を家庭で、とか?これは言ってるんだけどね・・・・。時間かかかるし、成果を信じられなければやろうとは思わないし、この方法を言って上げている私自身が、市橋敬三流である程度効果は実感しているが、ちゃんとはやってないものなあ。はあ〜。


日本語学校のトレーニングにおいても、理解のトレーニングから運用のトレーニングの橋渡しのステップに反復練習を取り入れれば効果が出るはずだ。


ポイント4
表現の幅を広げるために、自分が興味のある内容のものを日本語で読むこと。 


日本語学校で働いている皆さんの中で、日本語学校の仕事に飽き足らず、もっと創造性の発揮できる仕事を探している方はいらっしゃいませんか?プライベートの日本語教師の仕事には、挑戦しがいのある困難が、こんなにいっぱいありますよ。


プライベートレッスンで生き延びている数少ない珍種の日本語教師の皆さん、わたしのような新参者ですが、互いのノウハウの交換会や、いざとなったときの一匹狼同士のネットワーク作りなどはいかがでしょうか?


荒野にひとり吠える。ウオーオ、オーン、オーン、オーン・・・ン・・・ン。吠えてみた。