町田健著「日本語の正体」で仕事が大いにはかどった


「日本語の正体」では、事態を構成する機能を、文の中心としてとらえていました。事態とはあるものとあるものの関係です。
(個体と個体の関係1、個体と集合の関係2、集合と集合の関係3、個体や集合と名詞が指示する一般的な事態との関係4などなど)
事態が成立している場合、成立している事態は「事実」と言われます。


我々が日常使用している言語でも、事実にしか言及できないない訳ではなく、仮定や反事実仮想、嘘、単なる否定など、事実以外も含めて、表現できて始めて言語と言えるのですから、「事態」という概念を言語を考えるために措定するのは取るべき道でしょう。


記号論理学にちょっぴり馴染みのある私にとっては分かりやすく、しかし、まさにコロンブスの卵でした。
同じ発想、同じ方向性で突破できなかったことが、この本では突破してありました。



そっち方面専門の飯田隆言語哲学大全」4巻のアプローチを思い出す記号の並びでした。
(とはいえ、その4巻だけ通読できていない)


確か、岩波の日本語文法シリーズの1巻の最初の方で、文の基本をば、命題と話者の態度表明に分けていたかと思いますが、それと軌を一にするものではないかいなと・・・手もとにこの本がないのですけど、そう思った。


また、話者の現象のとらえかたによって、同一現象についての言及は、主題主語述語はいかようにも可能であるという説明も、
納得がいくものでした。おかげさまで、私にはいままで使えなかった当然すぎるほど当然な主題と主語という概念が使える。胸のつかえがおりました。溜飲が下がりました。


参考文献の欄を見ると、ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考」もあります。岩波文庫版で『事態』のドイツ語を見るとSachverhaltとなっていて、そこでは、「事態とは諸対象(もの)の結合である」とされている。冒頭の段落はそこを読んでから書きました。この難解をもって鳴る書の極めて冒頭の部分なので、大丈夫、私にもまだ付いて行けました。間違いはないでありましょう。


野田尚史著の「「は」と「が」」の読解の後、さて、主題と主語をどう扱うか、より包括的視点が欲しいと思っていたときに、新発売の「日本語の正体」はまさに、グッドタイミングでした。進行中の仕事がようやく準備段階を終えて、草稿執筆ヘと進むことができました。



また、今日のレッスンで、読解の述語部分の主体がなんであるか、明示がなくて読み取れなかった学習者に、うまく説明が出来たのは、この本で、日本語の語順についての考察部分を読んでいたおかげです。。



主語主題が、明示されていなくても、いろいろと述語に何が来るか予想がつく語順であること、日本語使用者はそれで問題は生じていないこと。


学習者へのアドバイスは、やっているうちに慣れて来るよ、と安心させつつ、含意されている主題主語をどうやって予想したり
判別したりしているのかを、丁寧に解きほぐしてやることだろう。述語の予想をつけつつ/述語を聞くまで確定は保留する、そんなトレーニングも有効かもしれません。特に、英語や中国語など、主語のすぐうしろに述語動詞が来る語順に慣れている話者には。


ちなみに、今日の学習者の方は中国語を母語とする方かだが、電話で友達と話していて、ときどき語順が変になって、あんたの話分からんと言われることがあるそうな。ま、今、能力試験直前でかなり日本語に入れこんでいることもあるのではないか。


日本語を、立派なひとつの言語であると力を入れて説明、もしくは証明しようと言う箇所もあり、筆者の見ている日本語のおかれている風景は、私ら日本語教師よりも悲観的なのだろうか、と思いを馳せさせる面もありました。。


この本は、私にとっては、今やろうととしていることにダイレクトに役立った。今後も、ここで展開されている日本語の本質把握は長く役に立ってくれるように思っているのです。


ありがとうございます。町田先生。この場を借りてお礼申し上げます。


ところで、今日このブログを尋ねてくださった方へ。
ぜひ、前日のドイツの再生エネルギーの項も読んでくださいね。