おおみそか?おおそうか!


特にタイトルにイミはないです。いつもの垂れ流しです。


去年の個人的裏テーマは何となく浮かんだ感性と知性、右脳と左脳の連携としていた。サックスでアドリブはまさにそういうもので、10月の発表会ではピークだった。家族の為に家事をやるのも、左右の連携を強化したことだろう。


来年は、これまたなんとなく浮かんだテーマ、個人的前提を根底から問い直すことにする。これまで、当然と思っていたことも、親兄弟だったり、日本の社会や文化との関わりや反動的反発など、いつのまにか形成された思い込みも多いようなので、全部白紙に戻し、自らの意志と責任と存在を賭けた選び直しというやつをやろうと思ったのだった。そして、それをば、今後50年を生きる指針とするわけだ。


個人の幻想を、反省吟味し、とらえ直す契機として、♬ジグムンドはエロおやじ、部屋にこもってなあにをっする?でお馴染みのフロイト博士や、ユング、できれば、ラカンなども援用しつつ、来年50歳を迎える私の徹底分析を、いろんなことをやる裏で、遂行しようと思う。


しかし、フロイトに端を発する無意識の探求は、その後の経過を見ると、まるでビッグバンの後の物質の生産、星々の広がりのように多様で広大ですな。小此木圭吾「現代の精神分析」(講談社学術文庫)だけでも、英米に限った内容でも、えらいこってすよ。


もし、フッサールに端を発する意識の探求の裏地に貼付けるだけでも、大仕事だ。現存在分析という一枚布にしたものがあるようですが・・・


私、個人は、家族関係、影響を受けた人間関係、社会制度、文化的作品にとどまらず、生まれ育った日本という社会の1959年から2009年迄の変遷も、出来る限り多方面の確度から再検討に付されることになる。表の仕事、新しい日本語教科書づくりに連携しさえするでしょう。


日本語教師という職業から得た私のもっとも大きな体験は、人間みんなちょぼちょぼやというた小田実さんのテーゼを身をもって日々経験し、今も、その経験による実感を更新しつつあることだ。それぞれが背負っている、文化と個性、ときにはイデオロギーを持ち寄って、文化が違うから摩擦ばかりかと言うと、そうではなく、お互いがコミュニケーションを取れるよう協力しようという前提のもと、一回一回が創造的にコミュニケーションの回路を開いていく作業が充実感を伴って行われることが圧倒的に多かった。


いやね、こんなことを唐突に持ち出したのは、私の「今」の根本にある前提がこのことなので、です。


常勤で日本語学校に勤めていたときは中国、韓国、台湾ついでフィリピン、タイなど東アジア、東南アジア、さらに南アジアなどとほかに様々なところからの人。他の仕事では、これほど多様な地域、文化の人と継続的に接する時間が持てる機会は考えられないのではないだろうか。


現在、自営業者として出す広告を見て集まってくる生徒さんは、欧米系、特に英語圏の人が中心になっているが、そのそれぞれにもつファミリーストーリーは一言ではまとめられない多様性があり、そのほかの台湾、日系ブラジル人など、個人的な文化圏の広がりは、現在も拡大中だ。


日本在住の外国人の多様化と定着度もますます大きくなっているようだ。今年始めの大阪日々新聞で見た記事では、2007年度の日本全国の新生児のうち、一方が外国籍というこどもが30人に一人ということであった。数字がひとけたかふたけた間違っているのではないかと思うほどの驚きの数字だった。


恐るべき経済的混乱の中ではあるが、社会ベースの変容も今後ますます加速度的に進むだろう。従来の社会的共通前提も現状に鑑みて問い直され再構築されざるを得ない事態はすでに足下に来ているであろう。飛躍した。直観型の人間ですので、私の思考は飛躍するのですよ。


話は変わるが、小松左京師匠だったか、野坂昭如師匠だったか、その両方だったか、原点は、戦後の焼け跡闇市だと言っていた。私もかなり後発の世代ではあるが、ほかに原点がなかったので、混乱、混沌からの再生と言う素敵なヴィジョンを原点にしてきた。


そのつもりだったが、だめだったら、あの頃に戻って考え直せばいいじゃん、では通用しない複雑ななにかがこの列島の上にも構築、(あるいは無意識的自然形成)されてしまっている。


「日本の行く道」で橋本治さんが、東京のビルを全部なくすところから、と提唱していたのは、その原点に戻るイメージかなと思って読んだ。


しかし、リアルなあの戦後、戦争で奇麗に一掃された旧価値に取って代わる新価値を、舌の根も乾かぬうちに称揚した「民主主義者」に敢えて逆らって太宰治は今こそ天皇万歳というべきだと反骨精神を示した。


私自身は、その一件についてからっきし、なんら反応すべき要素を内にもっていない者だということを念を押しておきつつ、太宰治の反骨精神、時流に乗って生きるある意味では切実かつたくましくもある大勢の人々を見やりつつ、ああ、目の色変わっちゃって、いやだなあ、と感じるセンスは、今、なんとなく分かる気がするのだ。


資本主義の最後の段階だ。その本質はねずみ講だ。問題先送りシステムでしかない。そんなことは分かっている人は分かっていたし、目立たないところで次の時代への準備をして来た人も少数ながらいた。(と、思う)


ということで、私の原点は、焼け跡闇市ではいつの間にか自然になくなっていた。第一、戦争を通過しないと至れない原点は、ハード過ぎる。そろそろ学んでくれ、人類。テレビのニュースで見るような戦闘がもし、身近で起こってしまっては、49歳の私には対処できない。ましてやそうとなったら足手まといになる年寄りを二人も抱えているのである。


だからといって、ポスト金融資本主義のなにかがそうやすやすとみつかるものでもないと思うので、この2007年世界恐慌と引き続く来年の先進国の労働者階級の貧困化と富の再配分への要求は高まることでありましょう。情報化を新たな民主制のツールに・・・などは希望的要素でしょうか。


ぜひとも貧困国の民衆との連帯という機運が生まれることを祈ります。しかし、こういった政治的社会的混乱を原点にすることもできません。その渦中ですからね。原点に巻き込まれてあっぷあっぷスルしかない。


ということで、今の私の原点の最有力候補は、シュメールで〜す。(説明はないのじゃ)


(ここは、枝雀の演題「代書屋」の松本留五郎の『私の仕事は、ポンで〜す』風に読んで下さい)


それでは皆さん、良いお年を! 今年ほど、この言葉が憚られる年は、ない。生まれて始めてこんな年末だす。


あっ、パラオで〜す。・・・でもいい。来年の正月はパラオで迎えたいような。