(雑談に入れては、申し訳ないけど、長文のため、コメント欄に投稿できませんでしたので、こちらに書きました)

私は30代になる頃、90年代始めから本格的に日本語教師として仕事を開始しました。
その当時は、まだバブルの余熱で、国際的に日本が開かれて行くことは
無前提によいことだとされていました。
現在の不況下での日系ブラジル人の処遇を見ると、人を労働力としては受け入れても、交流し、各地域のコミュニティの一員として受け入れるところまではいけてはいなかったようで、残念です。
当時の私は、(先進?)工業諸国の一角として大きな地位を占める日本国経済の繁栄が貧困国の悲惨の上に成り立っているのではないか、という疑問を抱きつつ、
将来<小説家>になるつもりで、それまでの<腰掛け>として、日本語教師の職に就いたものです。
わたしは、「国際的な富の再配分を推進する一助としての日本の国際化」には役に立ちたいと考えて、日本語教師になりました。幻想かもしれませんがそのような自負の持てる仕事だと捉えていました。コピーライターを辞めて日本語教師になった
選択については、後悔はありませんでした。
もっとも、専任として職を得た学校の待遇が日本語教師としては破格だったことも、後悔していない現実的な理由でもあります。
また、結婚して家庭をもつつもりもありましたので、育児や家事に
主<夫>的に関われる仕事としても、この仕事は好都合だと認識していたのです。その後、いろいろあって、関西の日本語学校で数校の主任を勤めたのちに、フリーでかつかつの生活をしています。


一見安定していた当時の状況も、考えてみると、現在若い世代を犠牲に
正社員の安定雇用を確保している(そうまでしてもそれさえ危うくなっている)日本全体の状況を先取りしていたということもできます。
少数の専任と量的には多数派を占める非常勤。非常勤の講師もご家庭が
経済的に安定している主婦であるか、まだ夢を追うことが許される世代の
若い女性であるかのどちらかでした。当時の同僚で若い世代だった方は、大学に職を求めて生き残るか、日本語教師は辞めてしまったかどちらかになっています。
私が主任を続けようとしない理由は、非常勤講師の方々の生活があまりに
見るに耐えないものだから、プロとして満たすべき要求を管理職の立場からでもとてもできないから、でもあるのです。


さて、日本語教師になるためにすべきことは・・・というさなさんのご質問に、以上のような経歴と意見をもつ私が答えると、一面的になると思います。
もう少しオーソドックスな日本語教師の先輩の意見にもぜひ耳を傾けてくださいますよう、お願い致します、よ。


<学歴はどこまで要るか?>
専門職としての日本語教師になるため、経済的に自立できる日本語教師になるため、両方を考えた場合は、国内であれば、大学院修士新卒で専任の座を射止めるというコースがあるかと思います。この場合は、ずばり日本語教育学か、国文学か、でなければ言語系の専門に加え、日本語教育副専攻あるいは養成講座修了、教育能力試験合格などの要件を満たして、就職
することです。
(なお、私の専門は哲学で、大学院修士中退です。内容的には役に立っていることもありますが、学歴的にはあまりプラスにはなっていません)
実際統計資料などを見たわけではありませんが、関西で講師を募集した場合、非常勤のレベルの募集でも、大学院通学中あるいは卒業したばかりの
方もおおぜい応募してきます。(日本語オンラインの投稿で誰かも「ごろごろ」している、とか言っていました。)息長くキャリアを継続するためにもより安定したポジションに就くチャンスがあったときにレベルの高い仕事をするためにも大学院での理論的な研鑽が役に立つ可能性はあるでしょう。大学院は、一度現場を知って、社会経験を積んでから、という人もいらっしゃいます。それはそれで一つの見識ですが、現実的に乗り越えなければならない、経済的困難、学生のあたまに自分が戻れるかなど、よく考えて人生設計をしてください。


さなさんが、研究にはあまり興味がなく、現場一本で勝負したいという
場合は、学部卒から専任が狙えるかについて一言すると、可能性はあるけど、不利であろうと言わざるを得ません。運がよければという話になります。狙ってみる価値はありそうです。たとえば、首都圏関西圏などは避けて、地方の日本語学校などなら。
私が長年勤めた学校は広島県の郡部でしたが、スポンサーの財力が桁外れで、待遇は優良でした。また、造船、船舶運輸などの本社業務の関係で、いろいろと珍しい国や地域の学習者が来たのも良かったです。また、わたしは舎監もやったので、それはそれで「楽しい」生活でした。
言葉や文化が違っても人間同士としてつき合うことができました。


<就職できてから>
非常勤になった場合、経験を積みながらこまめに応募して、専任への道を狙うことにするか、安定した副業との両立をなんとかはかって、経験の蓄積をする道を選ぶか、となるでしょう。
学習者へのアドバイスで、「時間」かければ、それなりに日本語はできるし、うまくもなるよ、と言いますが、教師にしてもまずは「経験量」が
大きいです。専任と非常勤でも、出発点は同じでも、数年後の教師としての成長進度の違いも出てきます。また、専任のほうが、コース全体の中での授業の位置づけを見る視点を自然と持てるし、場合によっては担任としてのクラス運営、コースデザインなども任されることだってあります。
経験を積んだベテランの講師の中には、そんなのあたしゃ面倒だ、授業だけやりたいよ、と言って敢えて非常勤として腕を振るう方もいらっしゃいます。


<海外で活躍したい場合>
情報不足です。私も実は海外で仕事するためにこの道を選んだはずだったのですが、その点ではとんでもない<けつまずき>をしました。
この場合は、なおさら大学院は行っておいた方が良いのでは?


<世の中と自分を知ること>
将来どういった道へ進むのか、という人生上の問題には、矛盾があります。選択肢の全て、お試しはできないので、「賭け」の要素を含めます。
それなのに、結果が悪くても自分のせいですから、誰にも文句は言えません。


少しでも、後悔しないようにするには、よく調べるしかありません。
できるだけ「知っている」人から話を聞いて、うまく言った例、うまくいかかった例を集めて、よく考えたほうがよいです。


それから、世間的な「正解」が必ずしも自分にとっての正解ではないかもしれないことにも注意した方が良いでしょう。
自分にとっての幸せがなんであるのか、これは自分にしか分かりません。というよりも、自分にも自分が分からないことさえあります。
人生のあらゆることを経験していない以上、決めつけることは出来ません。自分が何を幸せと考えるかについて、わたしは、「裸のサル」の幸福論(デズモンドモリス新潮新書)という本を参考にしています。本屋の立ち読みで目次に目を通すだけでも、役に立つと思います。


しかし、世間的にはどうなっているのか、これもよく知っておくべきです。私も含めて、日本語教師の世界は「夢追い人」が多いので、中年以上になってから、
世間的な幸せ「さえ」手に入れてない自分と向き合うのも辛いですから、ね。


どうして、さなさんは「どうしても日本語教師になりたい」と思うのか、
そのことをうかがわずにアドバイスをしましたが、たとえばですが、日本語教師以外でも、ご自分の理想の仕事があるかもしれないというような広い見地から検討してみてもよいと思いますよ。大学一年生なら、時間はあると思います。あっという間に終わるかもしれませんが、可能性を検討するための時間ですから、精一杯悔いのない思考実験をあれこれやってみてください。


「食う」ことを気にしなければ、日本語教師は割となりやすい職業かもしれません。社会経験と経済的安定を得たら、やってみる、というのも賢い選択かも知れません。


現場を見学するチャンスがあれば、日本語教師に限らず、でかけていくことをお勧めします。おしかけボランティアでもなんでも。


<個人的なアドバイス

日本語教師として以上に、小説家になるために、文章修行、日本語表現のトレーニングは積みました。知識を得るために、哲学、小説、人類学、SF、新聞、歴史、自分が読める本は、たくさん読みました。まじめな読書以外に、エンターテインメント系の小説、映画、音楽、アニメ、落語など、多様なジャンルにも手を出しています。こういったことは全部、日本語教師としても、役に立っています。