覚え書き


ZF公理系をカントール集合論に適用することによって、
便宜的に使い勝手の良いものとして、集合論はその後も
形式論理学と現代数学の基本的記述の道具として命脈を
保ったのだが、竹内外史が「無限のパラドックス」で指
指しているように、論理や数学の対象について本質的な
議論は遂行し難くなっている模様である。


さて、「日本語」についての、記述文法アプローチのい
くつかの著作を読み、その後、山岡政紀「日本語の述語
と文機能」を途中まで読んでいるのであるが、こちらは、
サールの言語行為論の枠組みを導きの糸としつつも、独
自に<文機能>の枠組みを構築し、そのうえで、形容詞
と動詞について、新たな分類という作業を遂行している。
また、命題条件の分析には情報帰属理論の枠組みも用い、
ふたつの枠組みが相互に「日本語文」を分析するのに役
立てられている。


(昨日は、本屋で同著者のより新しい「発話機能論」を
参看させていただいたが、日本語の分析は一部にととど
まっていたので、予算の都合もアリ、購入は見合わせる
こととした)


 私自身は、野田尚史「はとが」の成果を学生向きのガ
イドブックに生かすよう作業を続けてはや4年、そろそろ
まとめに入ろうと思って、述語部分の処理にようやく目が
向き、その本に取組んでいるのだが、私自身が考えた
内容を了解可能なものとして、また、妥当性のあるものと
して世に出すには、どうやら、背景となる論理的枠組みも
明文化し、自分自身でも検討すべき必要があるよう
に思われてきた。これは去年の夏、自分なりの非常に簡易
化した分かりやすいカタチの学生向け基本構文を組み上げ
終わり、英訳の作業に入ったとき、平行して「哲学的エッ
セイ」(むしろ作文に近いもの)を書いたときに、いまだ
不十分であることから、ますます強まりつつある。


 述語の分類から文の全体に迫ろうとして「日常言語の論
理学」(産業図書)を読み終え、英米系の言語哲学について
もう少し、理解を深めておいた方がよいような気もし始めて
いる。とはいえ、これを始めてしまうとさらに5〜10年かか
りそうなので、とりあえず、今のところ、焦点となっている
課題に合わせ、都合の良いカタチで、まとめにかかることの
方を優先すべきであるという方針は買えるべきではないと考
えている。


 そもそも、分析哲学に手を出すのであれば、私としては
現象学的アプローチからもぜひとも検討を加えたくなるのは
個人的な「哲学」との関わりから必定となるので、その場合は
さらに10年はかかる。私は昨年暮れで満50になるので、
寄り道はいい加減にしておかねばならない。

 
 ここで、冒頭の方便としてのテクニカルな解決の話につな
がるのであるが、これまでの取組みは
私が哲学的と思う根本的な観点から「日本語」に加えてきた
考察でもって切り込んで得た成果を、従来の専門の日本語学者
の著作の方の上に乗っからせていただくようにして紡ぎだした
ものなので、素人の悲しさ、切り込みの深さの加減が良く分か
らない。ここで状況に合わせて取る方便が自分として現状に最
適かどうかという判断は、いままで下した経験がないのである。


はいはい、メモメモ。