覚え書き デヴィッドソンvs.ダメット
もはや意味論と言えば論理的意味論のことだと
あるところで読んだが、じゃあ、言語学の意味論
はどうなっているのだろうか。
また、論理的意味論も一枚岩ではないことのメモ
タルスキの真理論
対象言語 メタ言語 ふっふっふっ。真理条件的意味理論
Dav. (意味のホーリズム) Dum.(意味の分子論)
文化人類学者が未知の言語を 外国語の教師が新しい語彙を
理解する例 教える例
真理条件的意味理論 徹底的な意味の理論を目指す
T文の解釈は言語体系全体を参照 意味の知識の一部は暗黙値
根源的解釈+寛容の原理 言語体系全体の完全な把握は誰にも出来ない
意味論的反実在論(二値論理否定)
マラプロップ夫人(哲学でもあるあるネタをやる例)
言語はない。 言語は不可知
そのほか:クリプキ、パットナムの「自然種名」の議論
中公「哲学の歴史」(飯田隆編)によると、言語より心などに
関心は移って行っているそうであった。
哲学上の議論の役割は終わって、後は言語は言語学者に任せるということ
なのかなあ。
はいはい、メモメモ。
言語をつぶさにみて、認知システムの構造を焙りだす。
もし、言語→認知であるとすると、
認知→言語は? すくなくとも、認知→言語→認知ではないのか?
はいはい、メモメモ。