今日から釜茹で


強火で炒めるの段階はなんとか数日で身体が慣れたが、この地獄の釜茹でに果たしてわたしは耐えられるのであろうか。今朝9時を回った時点で浜村淳のラジオ番組で、大阪は現在31度などと言っていたが・・・もうすぐ午後11時だが扇風機だけだとやはり体内に熱が少し籠っている。


そりゃあ、エンパイアステートビルに半分届くようなマンハッタン島の4分の1の面積の巨大氷塊が海に落ちて漂い出すのも無理はなかろう。


さて、釜茹でと言えば、ダンテの「神曲」は地獄篇の真ん中まで読んだ。脚注がなければ河出の分かりやすい訳でも読み続けるのは困難だろうと思う。思い出せるのは、近親恋愛で地獄の空間を飛行しているカップル。自殺した人が木になっている。なんのことはない。挿絵にあった場面ばかり。地獄巡りは下るに連れて過酷さを増すようなのでこれからに期待。


ところで、地獄と言えば、アレキサンドロス大王もダンテは地獄の一員に加えていた。残酷に人を大勢殺した罪による。罠にはまった国々の経済構造を改悪してきたIMFの後援、夫への復讐のために息子の権勢を望む母から逃れたい気持ち、ボクの限界はどこまでか行ける所まで行ってみたいな、だって行こうと思えばボクはいけるんだもの。そんなこんなでインドに到達し、悪夢の中の動物のように見える象の部隊に敗退した。普遍的なギリシャ文化の理想を広めようとして側近らにも理解されなかった脚色があったが、史実による動機の裏付けとしては自分を神ゼウスの末裔アキレウスと信じ、世界の果てに到達できるという幻想に導かれた模様である。


そのおかげで私は「イリアス」も読まなくてはならなくなった。どこまで続く西洋史と西洋文学でたどる人類の愚行の合わせ読み。


ときに動機と言えば、映画キングアーサーで、晴れて自由の身になって円卓の騎士たちとローマに帰れるにもかかわらず一人残るのはキリスト教的な「人は生まれながら自由である」という信念に基づいて、というような演出なのだが、どうみても、あの時代のあの地ブリテンではサクソン族に武力で勝り他部族を味方につけて自分が王になるほうを選んだとしか見えなかった。ローマに帰ったのではせいぜい雇われ社長どまりだが、脱サラして残れば王様だ。史実では、そんなやつがいたことさえ疑われていて、当時大規模な戦闘があったようだと考古学的に言える程度らしい。


映画では、キングアーサーの時代の地元の武力に対して、ローマから支給された甲冑や武器は圧倒的優位にあるようだった。それから映画アレキサンダーの軍や同映画中のペルシャ軍の装備の方がまだしもブリテン島の地元の武器より数倍強そうだった。サクソン人の持つ盾は木製だった。


ナポレオンが出て来る「戦争と平和」もそうだったが、どの映画の戦闘場面でも歩兵が気の毒なことは同じだった。外国の軍隊に荒らされる町も。そして、どの映画も、今の視点で見るとそのような犠牲を払っても価値ある自由を相手国にもたらしたとする「新自由主義プロパガンダ」に見えてしまうのだが、考え過ぎだろうか。


しかるに装備と言えば、東堂二等兵が配属された対馬要塞の大砲はなんと日露戦争時代の代物だという記述があった。こちらの「神聖喜劇」の一巻のクライマックスは、軍隊にいなければ日本の農村のどこにでもいるような人物が、教育係として中国大陸での火炙り虐殺の実体験を語るに及び、語り手の主人公が「惑乱」しているところ。


学生時代に一巻の途中までしか読めなかった本作品、読めなかったのは硬質な文体のせいもあったかもしれない。当時、小説の散文でこんなに硬いのはない気がした。漱石でもこれほどは硬くないと思う。軍隊で上官に歯向かう話というだけで、読む前から身構えてしまいこちらが緊張していた。漱石との関連で言うと、「軍隊の坊ちゃん」みたいな読み方もできるものと期待できる。


今読むと、これは「シュベイクの冒険」に近いユーモアをあちらこちらに見出すことができる。似ているところはもうひとつある。話が横道に逸れていくことがしょっちゅうあって、そのせいで戦争ものに終わっていない点。


シュベイクの場合は、主人公がおしゃべりな人で、関係あろうがなかろうが故郷や人生での体験、他人から聞いた面白い話等を所構わず相手構わずべらべらしゃべりだす。


神聖喜劇」の方は、こちらは一人称になっていて、語り手の記憶力が異常に優れているせいで、ナレーションの途中に、様々な引用や回想をちりばめ、読者サービスを超えて、軍隊の中と世間の壁を越え、両方を接合している。息の詰まるような現代社会そのまんまなところがいろいろあって、ああ、ひょっとすると「空気を読めない輩を虐めて排斥する用意がみんなにあって、いつだれがどのようにターゲットになるか誰しも不安を抱えて生きている」文化は軍隊から来たのかも、などと考えさせられるのだ。そんな重要なテーマを追求しつつ、大真面目な顔をしながら、作者は諧謔を隠し味として投入することにもきっと同じくらいエネルギーを消費したはずだと思う。構成も相当工夫したはずだ。


読み終わっていないので、最終の感想ではないが。


でもって、諧謔と言えば、モンティパイソン。
数ある佳曲中の白眉はこれでしょう。
Always Look On The Bright Side of Life
http://www.youtube.com/watch?v=WlBiLNN1NhQ

当時としてはすでにクリッシェっぽいアレンジをわざとやったんだと思うのですが、それが今聞くとまたエエですな。ストリングスも一流どころなんでがしょうなあ。


もうちょっと昔のこれも。
Burt Bacharach ~ Casino Royale
http://www.youtube.com/watch?v=oBLeACT_KBQ&feature=related
バカラックとティファナブラス この組み合わせは反則。


この映画007 Casino Royal 脚本はウッディアレン。
何年か前に懐かしくて見たときは、もうあまり面白くなかった。
しかし、名曲は残るもので、もう一曲この映画から。


Look Of Love
http://www.youtube.com/watch?v=0JeaL03Ku8g


小学生の時分にこういうので育った私です。ですから、変な人にならないように一生懸命がんばっていますが、それは無理なのです。
プハーッ・・・やっぱり24時間息止めっぱなしはしんどい。