本能と煩悩


Eddie Higgins Trio - I Could Write A Book
http://www.youtube.com/watch?v=TKv_wwz1-98



岩波新書に「動物の本能」という本がある。数日かけて今日読み終わった。これを読んでいる間に平行して書庫兼事務所の本を整理した。たまたまだったのか、神秘的な作用が働いたのか、という話。


本を移すに当たって、積み出し時には段ボール箱ごとに棚の番号を振ってもらったにも関わらず、箱を新しい部屋に積む順番がかなり乱雑になっていたうえに、段ボール箱50個は作業スペースをまったく許さなかった。とりあえず取り出した順に本棚に放り込むしかなかった。運び出す前のジャンルごとに分けられ、しかも一冊一冊が著者別や年代別に整列していた状態からすると、相当エントロピーが増大した。そして、そのまんま一年以上手をつけていなかった。


1〜2時間ごとに休みを入れなければ作業が続かない。頭の中をかき回したような疲れだった。知的作業というよりも、自分は後天的に習性となったあるカテゴリーの本を購入してきて書棚に並べるという脳内プログラムの完了行動を実行していたのだと言った方がよい。完了部分ができないままだったことは無意識のレベルでストレスになっていた模様である。半分ぐらい整理が終わってからは、実際にうんざりしているのだが、やらないと落ち着かなかった。


「動物の本能」で紹介されている昆虫、鳥類、哺乳類らの行動時の気持ちが非常によく分かった。一方、これを始めたのも動物たちの生きるための行動のメカニズムを読むことで、自分の裡に燻っていた欲求を解発されたからだったような気もする。


私にとって本の収集は、本能ではないけれど、煩悩のようなもんである。 


棚1 
   文庫の日本近代文学 漱石から中上健次まで
   洋書 主に英米文学
   文庫の欧米の近代文学英米独仏露東欧南欧

 
棚2 
   西洋の古典 (宗教、古代近代の哲学、文学)
   単行本の欧米の近代文学
   (ジョイスベケット、ダレルが多い)
   単行本の文学理論 


棚3 
   経営、ビジネス、金融
   単行本の日本の現代文学(主に大江健三郎
   筒井康隆中上健次
   単行本の世界文学(中南米アジアアフリカ)


棚4 宗教、民俗学、日本と中国の古典
   心理学、教育、自己啓発


棚5 経済学
   哲学(現象学現代思想)、文化人類学社会学
   (山口昌男は棚8)
   00年代の批評、脳科学


棚6 数学、天文学、地球科学、システム理論、
   現代の社会政治問題、各国諸地域、
   グローバリゼーションとオルタナティヴ運動


棚7 生物学、進化論、自然人類学
   SF(小松左京筒井康隆、ディックほか)
   語学学習書、岩波「言語の科学」
   平凡社「日本語の歴史」


棚8 世界史、日本史
   マンガ(手塚治虫ちばてつや水木しげる
       ほかいろいろ)
   *棚8は棚1〜5と同じぐらいの容量がある。

棚9 芸術論、エッセイ(伊丹十三、東海林貞男、
   山下洋輔ほか)
   文庫の日本の中間小説、エンターテインメント
   (野坂昭如から中島らもまで)
   新書(歴史、地域、社会問題など)


数学、自然科学、日本語論、日本語学、言語哲学、ジャズの
教則本などは自宅。


法律、スポーツ、趣味の関係はほとんどない。


長年こういう本の背表紙をながめて暮らしてきた。10年前
狭い大阪の部屋に越してきたときに半分ぐらい処分したのだった。古本屋の人に、どれも良書ばかりですね、と褒められた。しばらく脳がすかすかして腑抜けのようだった。


読むのはこれから・・・。


自分は読書家だと錯覚しがちだが、読まないままだと本当にただの本のコレクターで終わってしまう。間違った刷り込みのせいで風船を親鳥だと思い込んだヒナ同然だ。


そういえば、この夏ここ20年の日記を読み返し、過去を現在にフィードバックして軌道修正と方針固めをしたのだが、本の整理も似たような効果があったようだ。


これだけ本を持っているので、読んだhuriをするのは簡単だが、無論そんな下品なことはしない。
すでに読んだものをひけらかすだけで、読んでないものまで読んでいると思わせる効果はある。
なんてことを書いているのだ、おれは。


これは自分の人生を歪ませた性癖の大きなもののひとつである。
できれば元を取りたい。
一冊ぐらいは人の役に立つ本が書けるかもしれないと考えている。



Eddie Higgins Trio - I Could Write A Book
http://www.youtube.com/watch?v=TKv_wwz1-98