認識とパタン


岩波新書 渡辺慧「認識とパタン」読了


ヒトも含む動物の知覚は、主に感覚器官と脳の神経系とのネットワークによるものであるが、網膜上に伝わる刺激でさえすでに「パタン認識」が仕込まれている。例えば目でものを見る場合、対象である個体の輪郭線は物理的に存在するものではないにもかかわらず、それを認識できる。これは、視神経のレベルでフーリエ光学的な情報処理のフィルター作用が働いて、それを通してから情報が中枢へと送られるからである。
フーリエ光学的なナントカはよく分からないが、分かったつもりで次へ行こう。マッハ帯と言った方が分かりやすいのかもしれない。


カエルの目は、えさになる虫の動きに特化して反応する。パタン認識の根底に有用性に基づく選択が働いている。生物において、「前概念」「行動の範疇」「概念」どのレベルの<類>も生物的<価値>と密接な関係がある。(ユクスキュルとの関連)


ただし、見逃せない神経系の存在としては、受容の方向ではなく、中枢神経から感覚器へ向かう神経もあって、その機能はまだ分らないとのことだが、この本が出たのは相当前だから、今はどこまで分っているのだろうか、とちと気になる。


では、パタン認識とは何であるか。
個体と個体をある類に包含する場合、類似性をもとに個体を類に帰属させるのであるが、類似性というものに絶対的な基準はない。相対的なものである。
筆者は数学的にこれを証明している。
二羽の白鳥の類似性と白鳥とアヒルの類似性の度合いはつまるところ数学的には同じになる。


いかようにも設定できる多種多様な類似性の中から特定の類似性を取り出して利用する基準は「重要性」であり、それは生物としてのそれである。認識と価値は哲学的には独立とされてきたが、両者は密接に結びついている。(マルクスベルクソンプラグマティズム


コンピューターによるパタン認識の様々な方法がある。筆者はその開発にも携わっているのだが、人間が帰納による仮設を与えてやらなければ役に立たない。


仮設創造の過程は、機械的に数え上げると無数の仮設が可能であるがその中からの選択というプロセスを経る。それには、純粋な理性的判断ではなく、直観的、あるいは審美的な判断が働いていると考えざるを得ない。


あるいは、パタン認識とは、重要なものだけを残して残りを捨てるという情報圧縮とも言える。知覚、生活に有用な概念の形成、科学的仮設のどのレベルにあってもそれは働いている。


科学と芸術の類似性は、情報圧縮という点で共通している。芸術の場合、人によって情報圧縮過程での重要性が異なるのである。音楽はヒトの情動の描写として解釈できる。


この情報圧縮の指摘は、人間の象徴体系と表象の形成や運用が多様なモードを持つ事の説明の原理として大変に示唆的であると私は思った。


パラディグマとは、個物による類の例示のことであるが、これを筆者は、個物による誘発作用の実体化であるとする。実体化とは「こと」を「もの」とみなすことである。


人間は本質的に帰納的である。人間の観念はパラディグマ的象徴体系によってこそ成立する。コンピューターによる言語処理の困難は、人間は言葉をパラディグマ的象徴体系として理解し、及ぶ限りの文脈の広がりの中でとらえるからである。


コンピューターと人間。
コンピューターの仕事は
1)ソーティング
2)記憶
3)論理的演算
4)算術
であるが、


人間の場合,これらの仕事は
1)ソーティング(人間はかなわない)
2)記憶(感情的な連想網として蓄えられている)
3)論理的演算(人間のヒューリスティックな機能を必要とする。試行錯誤のような過程であり、直観、帰納的思考による)
4)算術


上の4つに含まれないのが、帰納、パタン認識、言語活動である。
人間の言語には、認識言語と情動言語が含まれ両者は完全に分離できない。

コンピューター(左)と人間(右)の特徴

演繹的 帰納
抽象的 具体的
個々の事実を記憶 事実間の連想網を記憶
一般的 特殊的
認識的 情動的
分析的 全体的
理性的 直観的
知識 価値
繰り返し 創造


わたしはどう読んだか


自然言語の理解の鍵をパラディグマ的象徴体系とし、個物による誘発作用の実体化を「観念」あるいは「概念」とするところ、また情動に基づく連想網としている点。がおおいに「我が意を得たり」なんである。


昔っから、そういう方向で「ことば」を考えてきたからだ。これもまた科学的仮設ではあるが、相当に創造性を育む母胎となるような仮設でもあると思う。本書を入手したのは20代の頃、これがまだ新刊だったときだが、不覚にも最初の数ページを除いて今まで読まなかった、というか読めなかったのは、不徳の致す限りである。だが、最初の数ページが示唆する所によって、私の思考のかなり基層的レベルで長いこと道案内になっていたようにも思える。