ある特別な瞬間の記録


パラオ滞在三日目に我々日本からの訪問者4名は泊めてもらっている日本語学校学生の二人とその友人たちのピクニックに招かれたのであった。もっともピクニックと言っても、スピードボートで人の住んでいない島へ向うという豪毅なものだ。


パラオの空は不思議な薄い紫に見えた。日本で見慣れたのとは違う空の色は自然らしくなく、到着直後に空を見上げたときからから始まり、上を見上げる度に不安になった。光が強すぎて自分の眼がおかしくなったように感じたからだろうか。幼児の頃屋外に出る度あまりの眩しさにしばらく目を開けるのが困難で歩くのもままならなかったときの感覚が甦るのだった。また同時に天蓋の向こうの暗黒の宇宙が透けているかのような連想が生じもした。


だが、どこまでも続く海のエメラルドグリーンが、それにマッシュルームの形をして点々と現われる丸く緑に覆われた島々が、その根本を波に削られた岩肌が、やはりここは生命の充満する自然のど真ん中、地球の中でも一等むせかえるような生き物の息吹と輝きに満ちた場所であることに違いはないのだと私に告げてくれていた。


私たちと御馳走と飲み物を乗せたスピードボートは波に合わせて鼓動のようなビートを刻みながら目的地へ迫って行った。道中の細々とした小さな出来事の一つ一つは、改めて思い出すことにしよう。今日ここに書く内容は私のこうむった意識の変容についての回想に的を絞りたい。


二時間ほどで島に着いた。その頃はもう人は住んでいなかったが、私たちのホストの一人はそこで祖母と暮らしていたこともあるという。岸の側には50メートルぐらい奥まった林の手前に小さな住居が残っていた。その前の空き地の雨ざらしのテーブルの周りで食事の準備にみんなが取りかかる中、私は失礼して道中のビールの酔いを醒ますために、一人で海に向って砂浜に座り込んだのだった。そのときの私はこの上ないほどリラックスしていた。誰かが鳴らし始めたカセットデッキの音楽はパラオのオリジナルのポップソングだった。海のたゆたうリズムから生まれたようなゆるゆるした波のような調べ。


太陽から直接降り注ぐ光と熱に包まれていた。自分一人ではなくて、そこに生きている植物たち、背の高いのや低いのや、どこにいるのやら分からないがさえずりや羽音や木の葉の動きなどで存在をほのめかす小鳥たちや虫たち、ひょっとすると小動物たちもそこにいただろう。そういった生き物らといっしょに陽の光を浴びる喜び。存在の歌を聴いて私も既に歌っていた。昔から、生まれたときから、いや、その前からも、ずっとその歌を歌っていた。そのことに気がついた。右から左へとそよそよと風が吹いていた。極めて細かい霧がときどき降り掛かってきた。


視野にあるのは、眼の前のミニチュアのような微かな虹と水平線に分けられた空と海とじわじわ流れる雲。大きな世界がその全部が空と海と雲だけになってしまったかのようにしか見えないのだ。私はというと、胡座を組んで世界の中に溶け込んで行く感覚に、全身を包まれていて、そのときのなんとも言えない気持ちのよさ。同時に私のからだの中に閉じ込められていた心も外へ向って溶け出して行った。


わたしはひろがった。


わたしのこころもからだも、目の前の広がり全部とひとつのものということが直接はっきりと分かるようになった。
同時に、この世界の果てから果てまで、宇宙のひろがりの全部の始まりから終わりまで、この暖かく穏やかなぬくもりに満ちていることを知った。


その時の「今」は永い永い終わりから始めまでとすべてのありとあるものを包んでいた。


言葉はひとかけらも残らず消え失せていて、そのおかげでわたしの「今」は無限のような何かとふれ合い、ひとつになり、分かり合った。


ナニモ心配スルコトハナイ。ミンナスベテガ生キテイル。


対話の内容をこの今に言葉で翻訳すると、ただそのことだけが私に伝えられたメッセージだった。それが言葉で言う「愛」の意味かもしれないと後で思った。「生」も「死」も、個体にとってさえ、本質的にはちょっとした変化でしかない。大きななにかからしばらく外へ出てまたそこへ帰るだけのことに過ぎないのだから。その大きなもの自体もそんなことを繰り返している個体たちの集まりに過ぎないのだから。


この最中にわたしは「それ」をただ感じただけである。眼をあけたまま、目の前の空と海を眺めながら、「それ」を感じたのだった。途方もない幸せを感じた。なにせ、自分と自分以外のすべてがひとつになって幸せであることそのものを実感するという体験だったのだ。日常の尺度で測れば、私が「それ」を感じていた時間は数分ぐらいだった。1分ぐらいかもしれない。5分以上は経っていなかったと思う。


やがて「それ」は終わった。
ひろがっていたわたしは、またゆっくり元のわたしに戻った。その変化の始まりと終わりにはまったく境目はなかった。しばらくぼんやりそのままの姿勢でいた。見事な景色はそのままだった。遠くのほうで空と海がつながって水平線が横一文字に見えていた。


大きな何者かによって与えられた贈り物を反芻しながら、その景色をまだしばらく見ていた。さらに数分経過して、立ち上がり、子どもの頃から信じたいと思っていて信じられなかったことはやっぱり本当だったんだと確信しつつ、私はみんなのところへ歩いて行った。


十数年前の夏休みのある日のことだった。


ではパラオの音楽と美しい景色をお楽しみください。


Diktionary: Dedication { Palau Music }