物質ー>生命ー>心


木下清一郎著「心の起源」中公新書を大体読み終わった。


物質から生命が生まれ、生命から心が生まれる過程を、科学的な仮説を積み上げながら、記述する試みである。大筋は、特異点の発生によって位相構造的な世界が開かれて、潜在的な展開原理が具体的な活動の場を得るというモデルを、物質レベル、生命レベル、心のレベルそれぞれに当てはめている。


このモデルは、事柄自体の本質に即したものなのか、それとも、認識主体である研究者が避けて通れない内的な基本図式であるのか。はたまた両者のインターフェイスにおける効果としての現れか。


わたしは読者として、この大きなモデルをそのまま受け入れるのではなく、ヒューリスティックな作業仮説として読んだ。むしろその枠組みで解釈され直す、核酸や情報系の位置づけが面白かった。

記憶が心の生まれる場ということをこういう流れの上で主張されると刺激的である。また生物の情報系を神経系だけでなく、化学物質による伝達、免疫系の反応のみっつをあげて、特に「気分」を化学物質による伝達にまでつなげているのは示唆的である。


言語を考える上でも、自然言語が概念と情念の絡まり合った体系として機能していることとも関連がありそうだ。


数年前に買ってようやく読んだ本だが、まだ私には早かった。心の発生まで読んで相当息切れがしてきたので、残りは後で詳しく読むことにして飛ばし読みに切り替えた。


また数年後に繙き、筆者の他の作品への導入にしたい本であった。


物質が生命をもつことにより、そこで初めて死という矛盾が生まれた。死を避けるための情報系の発達が心を生み、自己の死を意識することができる心が生まれた、というストーリーとして読める。ほかにもその気になって読めば、生命の自然史としての興味深いエピソードがいりいろ読み解ける泉のような本ではないかと思う。


さて、そこで本日紹介致しますのはキースジャレット Death and the flower (日本版「生と死の幻想」)
むかし、キースジャレットのリーダーアルバムについて、ジャズ評論家の油井正一先生が、バンドマスターとして統制をとらないので、作品がだらけてしまっていると私からすると過度な酷評を書いておられたのだが、たしか、この作品は油井先生もいつもと違ってキースジャレットの意志が貫かれていてよろしいと評していた初期の代表作のはず。わたしは酷評されたFort Yawuhのほうが好きだった。


演奏時間10分と少し