おもいつき


朝電車内で着想、ニーチェの神の死の自覚に相当する日本での超越的メンタリティの無化はなしくずしかつ無自覚な世俗化の過程のどこかで遂行されたのではないか、と。
西洋と日本の違う所は、一人の思想家が著書で「宣言」したことで、その後賛否それぞれの立場で議論が可能な条件がある。日本では、もともと「言明されていない」ので、議論もなく既成事実が積み重なるに任される。
そういうことではないか。
一つのエポックは、神棚や仏壇の代わりをテレビがし始めたときだろう。


また今トイレ行って「(ダメな)日本語教師どもと日本人の知らない世界」というタイトルで趣味の物語ライティングを始めてはどうかと思いついた。