古書中毒


困ったことに堺市の南海高野線沿線の主要駅では
新刊と古書両方を扱う書店が商いをしておる。困
るのは古書の部で、価格帯の異なる古書を数日ご
トに入れ替えて、大量に陳列しているために、気
がつくと、比較的暇人でありかつ読書家でもある
私は、ネパール人の生徒さんがいる急行の止まる
駅、事務所のある急行の止まる駅、地下鉄から自
宅へ連絡する線への乗換駅、家族の入院先への迎
えの無料バスが来る駅で、つらつらと全部のタイ
トルを眺める癖がついてしまった。


ああ、こんな本があったのか、これは買いたいと
思うことがしばしばある。全部は買えないのがく
やしくなってきた。結構な愛書家であるが資金に
とぼしいので、二百円や三百円ぐらいの文庫や新
書をちょこちょこ買っては、書棚に並べて増量し
ている。そんな癖ができてから、幾星霜、数年は
過ぎただろうか。日本語や言語や哲学の良書に反
応していた時期があり、人類学に民族学民俗学
先史時代の本に食指が動いたり、現代の国際社会
の問題や環境問題の最低限な基本的な書物をピッ
クアップしたり、自然科学関係の一般向けの話題
書を購入したり、原発事故直後は新刊書点より古
書店の新書でチェルノブイリの頃から反対してい
た著者たちのめぼしい本をみつけたりした。


今、古代から前近代の世界史のあれこれに凝って
いる。人類はどこで間違ったのかを考える一環で
ある。この夏は、東アジア東南アジアに散ってい
き、今も憤怒や後悔でやすらがない魂らに憑かれ
たかのように、同じく、彼らに命を踏みにじられ
た魂らの燃え盛る怒の熱に浮かされるように、戦
争関連の本を集めた。その前のコレクションが海
賊だったのは、ますます行き詰まりを見せる人類
の難局を打開する理想を求めてのことだったのか、
それとも、アニメ「猛烈パイレーツ」のせいなの
か、今となっては分からない。


古書店に並ぶ雑本の中にきらりと光る本をみつけ
たとき、私は山で獲物のうさぎをみつけた狩人の
弓をきりきり引く瞬間の鼓動を感じる。買わない
場合のほうが多いが、帯やカバーの解説を一瞥し、
目次を調べ、著者のはしがきを斜めに読み、出版
年を調べ、気になる箇所を拾い読みしてから元の
場所へと返す。必要とあれば、タイトルをメモす
る。こういう検索にあった本は、私が買おうか買
うまいがどうでもいいんだと無関心を装ってはい
るが、やつらもホモサピエンスの手のぬくもりを
ひさびさに味わって実は気が気ではないことも、
こっちは分かっている。


買いたい本が多すぎる場合だ、困るのは。
オビタダしい本に溺れてもいまだ書物の所有欲が
枯れないビブリオマニアの端くれである私は、身
悶えしつつ、そのとき最優先のトピックの本に絞
り、それでもまだ財布に負担を強いる数冊の本を
厳選して、レジに向かう。
「いつもありがとうございます」と今日も言われ
た。これを、天からのきつい戒めの声なのだと聞
きつつ、恥を隠して「すみませんが、そのまま鞄
に入れていきますので」とカバーと袋の提供を断
る。


ちなみに今日の成果は松田寿男著作集の2〜4巻
だった。