ものごとのもとをたずねるこころ


縄文時代の神話文脈を探求している田中基先生の講演に
接する機会を得た。和泉市弥生文化博物館の特別講演
である。


縄文時代中期、八ヶ岳山麓の多彩な土器群の図像学的な
意味の読み解きから、世界にひろがった最古の人類の神
話的思考と結ぶ世界像についての興味深いお話だった。
子を産む母なる女神の文様を配した灯り型の土器、これ
儀礼用に特別に作られたものであるが、表の柔和な母
なる像と、そのウラに恐ろしい暗黒の空洞を持ち髪が蛇
らしき顔をもつ、相反する二面性を備えた土器である。
別の祭祀用のつぼ型の土器では、産む女神と産まれてく
る子の顔が同じであり、再生があの世との循環である事
が示されているのだと言う。
当時の人々の世界像は、先史時代の他の地域の神話文脈
をも援用して、生み出す自然と死と破壊の果てにある別
の世界との循環として捉えられるのである。
古事記」や諏訪神社の冬の祭りにも通じる内容を伝え
ているものでもある。


講演では、これからまとめができたら発表するご予定の
「世界山」的宇宙観にも言及なさっていた。


その講演の余熱冷めやらぬ今日、わたしは、スキタイの
至宝展(大阪歴史博物館)に行って来たのだが、ここで
スキタイ人の神話の主神を中央によっつの柱を配した鉄
製の恐らく祭祀用の器具を見て、ああ、世界山と思った
ものだった。ここでは、鷲と獅子の合体した聖獣グリフ
ィンをあしらった様々な金細工の展示が目を引いた。
現在ウクライナとして国をなしている地域のあちこちの
民族の興亡が見られた地域であり、ユーラシア大陸の文
化複合についても学んだ。


平行して「物語の起源」(藤井貞和)のフルコト論を読
んでいるところである。漢字が日本列島社会に導入され
王権が新たな社会を組織して新旧の文化を統合する試み
の基盤になった「概念」として「フルコト」が読める。
そういう文脈でわたしはこれを読んでいるところである。


ものごとのもとをたずねるこころは、すこしやすらいで
いるかもしれない。