あけましておめでたくない人が多いので、人類の滅亡について


遅かれ早かれ人類が滅亡することは科学的真理である。
そのことが分かるのも近代以降自然科学が発達し、宇宙の物理的概略が
明らかになったことによる。
遅かれ早かれ、そのうちに。時間軸上で確実なのは太陽の膨張による50億
年ぐらい将来の太陽の膨張である。
ただしこれは人類が50億年先に太陽系外に生存圏を確保できていれば回避
可能だ。蓋然的な滅亡の可能性と言ってよいだろう。
ここから現在にフィードバックした場合、地球近傍の宇宙空間の軍事的利
用、商業本位の利用は、それが健全な宇宙開発を阻害する可能性のある限
り、今のうちから避ける方向性が望ましいと私は考える。


より時間的に近い滅亡可能性は地球生態系の破壊であるが、
これにはふたつのシナリオが考えられる。
1)人類を含む高等動物が絶滅するが、植物以下の生物構成が残る可能性
である。これは、地球生態系の進化の機会は残る。
2)地球生態系全体の死滅。


現在の延長上にどちらのシナリオの蓋然性が高いのか私は知らない。
1)の可能性が残るうちは2)だと思い込むことは罪である。
詳細な科学的シミュレーションが急がれる。


いずれにせよ、現時点で地球生態系に、近代科学技術の見境のない軍事的商
業的利用が与えたダメージの評価が急がれる。
ダメージの数量的データに関して私は目下のところまるで不案内であるが、
定性的なことで思いつくことは様々ある。


<生態系のダメージ実績>
1)都市部の開発による自然破壊による復元力の低下
2)同じく都市部および肥大一次産業民を養うための大規模農地、牧畜用地
利用による復元力相対的低下。特に赤道地帯の熱帯雨林の減少
3)海洋の復元力の低下は、沿岸部の乱開発と産業廃棄物の汚染による、珊
瑚礁、マングローブ林の減少


<生態系へのダメージの原因>
4)土地開発
5)巨大産業による汚染物質
  <1>放射性物質(資源開発時、核実験、核施設(発電所)、廃棄物)
  <2>化学的有害物質(資源開発時のもの(土壌汚染)と使用済み製品
由来のもの)
  以上の物質を社会経済的文脈におくならば使用済み工業製品および消費
者向け製品などの廃棄物である。


普段の我々は、我々自身が原因できわめて近い未来、すなわち数世代から10
世代以内(百年から300年くらい?)に我々人類が<自己原因>によって
滅亡することを忘れているが、その可能性がいつもつねにすでに近い将来の
滅亡の可能性がゼロではないことに、絶えず注意を払っていなければならな
い。それなのに、どうして忘れるのか。
忘れてしまう我々とはいったい誰なのか、何なのか。


ここで、人類史を参考に人類を地球生態系との相関において定義する試みが
必要となる。


<起源:文化のビッグバン>
0)道具と言語の使用から始まった生産技術の発展と自然観や世界観(プロ
トタイプ:神話的世界観にもとづく自然=カミと共生して生きる活動)


<原始国家段階>
1)0)の発展に伴う社会集団における分業と身分制 原始国家の発生
2)1)の統制のための世俗的権威=王なり行政官なり、あるいは世俗超越
的権威=共同体宗教
  (あるいはイデオロギー)と集団間の資源の争奪競争機関としての戦争
組織=軍
3)2)を共有する・させるためのメディア(新聞以前の儀礼や教会建築な
ども?)


<近代国家>
4)1)〜3)の活動の結果として得られた専門的知識の蓄積を促進する学
問的理論体系と研究、
  および教育機関=大学、学校
5)および集団内と集団相互間の交易を行う経済組織=企業、
  自然との関係における土地利用(居住農業畜産用地・地中資源の取り出
しなど)=開発


こういう特徴を持つ生物種である人類のこれまでの物語、履歴を、これまで
のあらすじとしてまとめると・・・


自然界において、生産の社会文化的組織化により集団的に適応を果たした人
類は、しかしながら、生物としての共通の土台に立つのではなく、各地域の
文化圏におけるまとまりで(例えば21の地域の文化圏に分かれる。 
参考:「世界単位」から考える世界史」)競合しながらその多様性を展開し
た。ときには交易を行い相互に影響を与え合ったり、また、ときには隣り合
う異文化圏や遠方の文化圏の間で戦争を起こしたりしものだ。


前世紀の前半に起きた2度のいわゆる「世界大戦」で反省するかと思いきや、
軍産複合体は結局オーバーキルすら可能になり、ケネディを暗殺したり好き
放題やっている。
みなさんご存知の通り、今や、巨大国際企業が国家をも凌ぐ力を持ち、金融
資本家が国家も国際機関をもコントロールするようになってしまった。
冷戦時代には貧困国だけでやっていたやらずぶったくりの荒稼ぎ(もちろん、
これだけでも人類の健全な発展にとっていち早く是正すべき問題だったが)
豊かさを享受していた先進工業国の中間層の懐にまで貪欲に手探りを始めて
いる。


死がだれにでも訪れるのと同じように生物種としての人類もやがていつか必
ず滅亡するだろう。遠い将来に起こる必然的事態として私はそのことを受け
入れている。だが、現段階の我々の近代合理主義文明をリードする国際的巨
大企業が行使する科学技術の無節操な応用による経済活動が原因の滅亡とな
ると話しは別である。それは受け入れがたい。
やり過ぎを調整すれば回避できる問題に過ぎないからだ。
人類自らが原因となって自然生態系総体を傷つけ、自分の首を絞めるような
愚行を止めればいいだけの話しであるからだ。


去年ではあるが、すこし前に他界された米長邦雄永世名人は、「人間におけ
る勝負の研究」という著書で将棋の勝ち負けも対話であると書いておられた。
自分が盤上で指したい手筋を実現するには、かえって相手のやりたいことも
やらせてあげないと実現しないものだと。
人類は、そもそも人類以外の生物やあるいは「地球自身の幸福」を考えて行
動して来たのか。特にこの五百年ぐらいはどうか。


日本の棋界は確実に進歩発展していてその生ける証拠である羽生善治名人の
強さの一つに、対局相手に見えてない手筋を発見するディープな大局観の持
ち主であり、名人にしか見えない最善手が指せる、といった解説を聞いたこ
とがある。


いまだ20世紀初頭の世界観しか持ち合わせていないグンサンとかモンサンと
かのつまらないゲームに巻き込まれるのは本当に嫌だ。ゲームと言えば、自
分たちはゲームのルールを勝手に破りながら、相手にはルールを守らせ、文
句を言えない立場に追い込んでしまうというやり口が汚い。
儲けた金を貧乏な国に返し、今後は人権とか、公平にやるとか基本のルール
を守ることにすれば、また健全に楽しくより大勢が参加して続けられるはず。



これを書いていて、
「地球生命は自滅するのか ガイア仮説からメデア仮説へ」(ピーター・ダグ
ラス・ウォード)という本をみつけた。まあ、地球自体がそんなに長く同じ生
物を養いたくないと言うのでは人類はかなわないだろう。


福島第一原子力発電所の4基の原子炉の過酷事故が起きる以前から、地球生
態系の危機的状況について、私の知る限り、地球温暖化による海面上昇や気
候変動と生物多様性の危機が語られてきた。
2011年3月のあの事故以後、大量の放射性物質の環境への放出を知って、地
球生態系への人類が加えた打撃がどれぐらいのものか、いたく知りたいと思っ
ているが、まだそのような研究や科学者、専門家の意見を知らない。


とか言ってるうちに
福島原発事故放射能汚染:問題分析と政策提言」(世界思想社
こういうのをみつけたので、読んでみたい。