自己と自我の存在様態の違いと関連


前提:
ここでは、生物としての一個体としてあることと、その連続性を<自己>と呼ぶ。<自己>の認識は、他者の個体としての存在、ヒト以外の生物個体を含めて、客体的な個体としてあることの認識から得られる。一方、<自己>であることの再起的な意識様態を <自我>と呼ぶ。<自我>は常にアクティヴな作用(=いつも現在進行中の作用として現れる)において、その当事者性を通して知られる。<自我>は、自由意志(と通常呼ばれうる<自己>への作用)による自己の統御から、受動的に身体に住まい身体を通して世界を感受する作用、その結果を<自我>のヒストリーに統合する作用、そうやって設けた<世界>についての解釈を遂行し自由意志へ送り返す作用まで行う。(前提終わり)
  以下は、現象学的な枠組みの自分勝手な応用と疑似脳科学的な解釈を加えつつ、私の日常の反省的観察などを試みに記述してみるものである。


  床に付いて、電気も消して、うつらうつらしながら眠る寸前の意識のほどけてゆく様子。それは、こんな感じだ。なにか考えているが脈絡がつながらなくなり、ツーステップほど前に戻ろうとしても戻れない、さらに戻ろうとしたことが原因で停止したステップの中身まで飛んで、先に進むこともできなくなる。迷路の中で思考が立ち往生したな、と思った後、意識が遠のき眠っていく。快感物質が、<自我>の最後の意志的努力によってかろうじて保っていた記憶や言語や像などの脳内モヂュールとの連絡を断ち切る。あらゆる他の脳内モヂュールとの連絡を断ち切られた<自我>モヂュールは、「しばらく暗闇をさまよう」。夢が見られたら、お慰み。


  当然夢を見る。<自我>に蓄積された経験の、野放図で断片的な反復、加工、再構成、仮想的経験の構築、寝ている間だけ切り離されている(と思い込んでいる)外界の<現実>にたいするありったけの感覚的再吟味。外界のセンサーによる規制がはずれたおかげで、<自我>は見たいものと見たくないもの、希望と不安、過去と将来、四畳半と宇宙など相反するもの同士の、覚醒時には決して融合しない存在のアマルガムを、使える範囲のモジュールの恣意的な使用によって、見、体験する。


  そして、朝が来ると<自我>は、全身のコントロール感覚をもう備えており、反面夢を反芻しようともしているのであるが、すでに身体的に活動するための用意が整った他の励起したモジュール群とともに現実界に合わせてチューンナップし初めてしまっている。気が付いた時にはもう起きている感覚になっている。


  夜も、夢の間も、夢を見ていない静かな睡眠時も、朝も、身体という基盤にのっかった<自己>という身体的存在の連続性は、
<自我>の名付けられた一個体としてのラベルによって、その匿名性や、無自覚性や、単細胞生物レベルの反射性(とその何層にも積み重なった高次元の複合)などをほぼ覆い尽くされて見えなくなりながらも、圧倒的な質量(ヒューレー)として<存在>に近い存在として<自我>作用、<自我>現象の根底に横たわっている。


  テレビで見たのだが、高次元脳障害という、脳神経の外科治療の発達により、逆にこれまで助からなかった脳の障害が助かり、交通事故などで記憶領域が機能しなくなっても生活を続けている何人かの人を見たのであるが、<自我>は<人格>の内容として重要な半生の記憶とさらに数時間以上前の全ての記憶について、重大な損ない方をしていても、自己主張の出来る立派な現存在を支え得るのであった。家族に「記憶障害」と自覚するよう机にメモを置かれ、医師に客観的に病状を説明されても、本人の<自我>は単独で、 <自己>全体の正常を主張するのであった。しきりに、そのときどきの小さな手帳のメモが、記憶の代替としてその人を支えているのであった。


  認知症の場合も、<自己>と<自我>のずれが顕著に現れる。本人の<自我>による<自己>規定と、他者に承認されている限りでの<自己>像がコミュニケーションの場面で食い違う。世話をしてもらっている家族の認識すら失った状態で、(「あんた、誰やったかいなあ。すまんねえ』)<自我>の連続性は、その世話人の自分に対する「やさしさ」や「邪険な扱い」などについて引き起こされた感情の蓄積のみは発症後も続き、感情に基づいた対人的反応は起こる。<自我>からは、理性的判断などは抜け落ちているが、感情的存在としての連続性はまだ生きているのである。認知症以前においても、高齢者の身体の衰えている場合、<自我>にとっての <自己>はある時には、好き勝手に動かない厄介な装置として現ることもあるようだ。痛みなどの作用は<自我>をして<自己>を呪わしめる存在ともなる。意識活動のエネルギー供給源としても、<自己>の身体は頼りにならない不安定な道具であろう。



  この文章の第二段落に示した脈絡をなくした状態の<自我>も、我は我なりとしての意識の連続は保っている。思考内容は覚醒時には異様であり、病的と言ってもよいような思考、思考とも言えない、出来損ないの命題から命題、連想から連想へのさまよい歩きにすぎぬ物であるのに。


  物理学者ラザフォードは、1917年、最初に原子核の破壊実験を行い、その内部構造の探求へと踏み出した。


  私は、実は、言語より、もちろん数学的記号操作より、感官を通じた世界没入と身体運動と非言語的(あるいは前言語的な)意識活動(イメージによる思考など)の方が優位な脳の持ち主であると普段から感じているものだ。左利きだし、音楽を好むし。しかし、なぜか認識への欲望は、40代になってもまだ弱まりながらも続いていて、本は読みたい、勉強はしたい。しかし、ホントは直感的にすぱっとすべてを把握したい。これはないものねだりではあろうが。

  
  この小文を書く上で基づいていた直感は、身体的存在である自分のほうが自我より大きいということだった。その時々に意志的に努力したり、次々に起こる出来事に一喜一憂する自我を基盤で支えている自己が本体である、という直感。


  話は飛躍するが、宇宙に気持があるとして、それは感じ取れるものだろうか。目を閉じ耳を澄まし注意を凝らせば、実はいつも感じ取っていて気が付いていないだけのものを感じ取れるだろうか。根源的なアハ体験の訪れという瞬間をもったヒトもいるにはいるのだろうが。平行して、素粒子レベルから、原子や分子や、有機体や、多様な物質や、生物の、ヒトの意識の、星の、宇宙の、それぞれの観察と実験によって得られた局所的に精密で妥当な(それはそれで不思議な)科学的認識の積み重ねを統合することで得られる宇宙像は、まだまだどこまでも未完のものかもしれないのだが、どちらも <<<不完全に>>>知ってしまっている私の自我は、疲れるが、行けるとこまで行くしかないじゃないか、ばかたり。


  国内ニュースで、切断された身体のニュースが二日続いた。東京で不明の右足が川から。福島県で高校生が母親の頭部を鞄に入れて警察に持参・・・。巷のラザフォードたちよ、そりは犯罪だ。当たり前すぎるコメントですみません。ラザフォードは原子破壊実験の研究報告会で、当時進行中の「戦争どころではない、はるかに重要なことになると思います」といった。確かにその次の戦争ではすごいことになった。私の母は長崎で起きたそのすごいことを、遠くの島、天草という島から目撃している。母は高校生で、防空目的で朝から火の見やぐらに登り、敵機の来襲を監視していた。背後でなにかが光ったような気がしていたが、監視するのは南側だった。しばらくして振り向くと遠くの長崎でなにかが起きている。見ていると美しいピンクの雲がもくもくとわき上がり、いっしょにいた同級生と「なんじゃろか」と言い合っているうちに、雲はさらに巨大になり、恐ろしい真っ黒な色に変わっていった。恐怖を感じて二人は火の見やぐらを降り、学校へ行った。当日のうちに連絡船は地獄から帰還してきた人たちを乗せてきた。両腕に着物のような焼けてぶらさがったものを見た出迎えた人が「あんた、いつまでもそんな雑巾みたいなもんぶらさげんでよかのに」と引っ張るとそれは皮膚だったので、ぎゃあいたいいたいと叫んだという。ラザフォード氏はどの辺まで想像を膨らませていたのだろうか?(ラザフォードの研究を単純に糾弾する論旨ではありません。念のため)(単純に謳歌してよしという論旨でも、ありません。)