世界社会フォーラム(WSF)開催中


世界中の貧乏な人々や貧乏な国々のことが心配な人々が集まって将来のためにどうすればよいか話し合っているのですよ。今年はダカール。アフリカです。あのパリ=ダカール ラリーのあそこです。宝くじが当たっていたら私も参加したのですが。


http://wsf2011.blog.shinobi.jp/


WSF2011 Dakar
WSF2011ダカール発の情報を発信します。


恒例の音楽動画を忘れておりました。
「世界は日の出を待っている」1939年の演奏で、どうぞ。

意識の二元論と「記号と再帰」(東京大学出版)


はてさて、意識を構成するものが、<(土台としての)マテリアルな神経系>が存在することを認めた上で、神経系そのものは意識ではなくて、神経系上で展開する<パルスの流れの安定したパターン>が意識である、という仮説を少しつめてみたい。


言語形式の基本構造が、命題を表す文形式と事態を表す文形式のふたつであることを手がかりに、意識の存在様式も二元論的にとらえられるのではないかと考えて、いずれこれらを接続する可能性を視野に入れておくものである、と。


時間軸に沿って様々に変化運動し、あまつさえ毎日睡眠を取ってブラックアウトさえする一個の「我」を、統合し自己同定する「我」。対象に働きかけ、自らも変化する「我」と変化を可能にする土台となって変化しない「我」。2つの「我」がある。


えーと・・・
「意識は常に何者かについての意識である」から出発する。
起きてある対象を意識したり、夢(見ているときだけでは浮上しないので)を起きてからもう一度回想したり、言語活動したり、いろいろなモードがありますが、知覚が特権的であって、いかなる意識のモードにおいても知覚作用の変形として顕現する、と。


知覚作用は外的対象についての志向作用であり、これをもって意識の始まりとする、と。
また、自己に関する反省的内的意識は知覚を能動的に行う意識の座への反省的(reflective)志向性の発露として形成される、と。


外的対象と並列して時空間を構成する諸対象の一部としての自己の身体が一方に存在する、と。(A)
また、一方で、そうした意識を構成する能動的な意識作用を統合している意識のノエシス的契機の座として我の身体
が存在する、と。(B)


前者の身体と後者の身体を結びつけて、「この俺Aはこの俺Bだ」「このわたしAはこのわたしBだ」という結びつける作用は、知覚作用成立の基盤となっているはずだ、と。


生まれたときからは、これはヒトにはない。ネオテニーである人間の赤ん坊は、まず母親のである確率の高い顔に並ぶ二つの目を最初に外的対象として知覚する。(これは今読むのが途中で止まってる「言語と身体」(滝浦静雄)から。)


これは、生物的基盤である神経系においては、あるモジュールと別のモジュール相互の神経パルスの送受信のやりとりの動的に安定した持続と考えられる。ベルクソーンの<持続>についての科学側からの解釈を与えるとこうなる。


1ボールが自分(A)に向って飛んで来るのを
 認識した。(B身体の機能1:感覚)
2あれが顔面(Aの部分)に当たると
 痛い(B身体の機能1:感覚)と
 予想する(B身体の機能2:思考)。
 (しかし、これは思考というより反射的思考。
  意志の伴わない演算処理?ー>3へ)
3身体(A+B身体)を
 動かして避ける(A+B身体の機能3:運動)。
4ああ、自分(A+B)は無事だった。
 「避けたおれは無事だった」
 「痛くない俺は避けた俺だ」
 「誰が避けろと言った」
 「誰だお前は」
 「俺は俺だ」


「記号と再帰」では、自然言語記号論的に整理して、プログラミング言語との比較をしている(らしい)。コンピューターはこの「再帰」がたいへん苦手。


再帰とは「自己の定義に自己を含むこと」(らしい)。


らしい、らしい、と言うてるのは、自分がちゃんと読めていないからなので、わたしが悪い。


さて、その中で、情報を二つに分けて、データベース構造的な情報と機能=つまり関数的な情報の二元論が出て来る。


出発点!  
      おれはおれだ <再帰的な>データ構造的基盤
      車が来た   機能=関数的(外的対象)
             <他動詞>
      おれは乗る  機能=関数的(運動)
             <自動詞>


ところで、いきなりだが固有名について、わたしは仮説をこしらえるアイデアがある。とはいえ、もう、誰かがちゃんと唱えているとは思うのだが、それは「このかけがえのない一回きりしか生きられない自己の認識さえ持つ」自己意識、あるいは「普段はそんなことは忘れて、おれがおれが、わたしがわたしが、と脳=身体の快感原則やら、社会的役割意識やらにとらわれて生きている」自己意識、または生まれたときに学んだ言語が指示する「おれ」「わたし」の意味に見合う実質を構成する実在・・・


こういった実存があってこそ初めて固有名が成立すると日頃から考えている。ただしそこから何事かを展開できているわけでは、まだ、ないが、と。


一方人類史に目をやると、今書いたことにはタイムラグがあった。二つのモジュールの結合による自己意識の発生は恐らく人類以前の動物とか魚とか、もっと遡って中枢神経系の発生までたどれる。


しかしながら、概念としての意識はソクラテスからデカルトに至って、身体と魂の二つの実体に分けて純粋な概念を形成するまではなかったとすると極めて新しい。素朴な自然的意識と、反省的な自己意識を自然史の一過程として読み直すのは面白い試みだと思う。動物行動学ローレンツはカントにも触れつつ、このような著書をものしている。一度図書館から借りたけど、読めずに返した。


また一方では、違う不可逆的過程をとった文化もあった。
仏陀の場合は、高次概念形成により意識の上に意識を重ねて強化する方向ではなく、それとは対照的に、生活上の実践において第一次の再帰を無化する道へ向った。わたしは詳しく知らないが、中観派の構築した体系は、そのための概念装置の精緻化とみなしてよいものではないだろうか。あるいはインドの仏教以外の思想体系も参照する必要があるだろう。さらには、他の文化圏の他の選択肢についても同様である。(付記:その後不勉強で恥ずかしいことだが、ヒンズー教多神教であることを知った。)


デカルトの「我」は<再「再帰」>的に出直しを図り、不可逆的に現在に至った自己意識は、ポストモダンを完成させて、もう一回、<再「再「再帰」」>を上手くやりおおせないと人類は滅亡するので、大変だ。


まあ、それは冗談だが、COP16 の体たらくはかなりやばいんじゃないだろうか。わたしはボリヴィア一国が反対したわけについて少し知ったので、(興味のある人は母なる大地の権利を主張した<コチャバンバ宣言>をググってね)今年のCOPがうまくいったような日本国内の報道に基づいて安心している人がいたら、それは間違いかもしれないので、ちょっと関心をもったほうがよいと思う。


そこで日本はなんか<やっちまった>感がある。日本史で習った「国連脱退」ほどではないにしてもそれに似ているような。


人類が滅亡するとは思っていないが、どのようなカタチで人類社会が今後存続するのかという決断と選択を60億人(もっと多い?)ひとりひとりのレベルで迫られている。時間が経てば経つほど選択肢が狭められ、多くの人が生きて行かれないようになってしまい、生き残っても生きているのが嬉しくないないような嫌な野郎ばかりの世界になってしまうか、そんな瀬戸際的曲がり角にあるようではある。


話はあらぬ方へ飛んでしまった。


今日紹介する動画は楽しい音楽ではなく、興味深いディスカッションへみなさんを誘います。


1「気候戦争 加熱する世界での生き残りをかけた戦い」
  デモクラシーナウ日本語版サイトより
http://democracynow.jp/video/20100708-3


2「地球工学は温暖化回避の切り札か、自然をあなどる愚作か」(同サイト)
http://democracynow.jp/video/20100708-4


こういう話題では定番の
THE END OF THE WORLD by Skeeter Davis

日本語の文脈依存性が高いことと「が」の活躍


今朝、「が」構文の実際面でのコミュニケーション上の有用性の一つについて思い至ったので、そのことを書く。
それは、主題または主語の省略と、この日本語の便利な機能を支える「が」構文の果たす役割について。日本語については久々のエントリィ。


まず、前提の確認。
私の研究において、日本語の文を事態文と命題文として分けて考えることから、「は」と「が」のプロトタイプ文における機能とその入れ替えた場合の意味付与を有慓化として見ることで、基本構文および、構文構成上の「は」と「が」の相互関係や派生的用法までを一通り説明したのであった。
(本年7月サイト上で公開。詳細は『日本語の基本構文と「は」と「が」』で検索してください。)


事態文と命題文という分け方は、日本語学の分野においては、これまではなかったもののようで、これまでの私の見出した範囲では述語の分類のレベルに類似の概念を用いていて、二元論的に述語を分ける観点があり、また、形式的に「は」構文と「が」構文を設定している研究者はいる。しかし、構文の意味論のレベルでは見当たらない。


この分け方は発見的な作業仮説として私としては上手く働いて生産性もあったと思っている。だが、理論的に検討した上で修正が必要な基礎概念だと思っていて、根本的な次元から考察する手がかりを求めて、もろもろの言語に関わる哲学的研究、心理学的研究を参照している次第である。


その検討作業のひとつに事態文といえども事実や出来事に関する命題ではないかという問題がある。真偽を問うことが可能な文を命題というならば、確かにそうである。したがって、私の言う「命題文」は、サイトに公開した「事態文」との二項対立的定義において理解してもらわなくては誤解が生じる恐れがある。したがって、将来的には定義の方を残しつつ改良し、用語法は改める可能性はある。検討する内容はその点についてである。


このような探求は一見遠回りのようだが、現代日本語の本質を普遍的に把握するためには有益だと考えている。


で、本稿の本題に入るのだが、
「日本語に主語はいらない」というタイトルの書籍が出ており、私の枠組みにおいては、このタイトルになっている文の主部は「主語は」の部分であるし、私の枠組みではこれは命題文の主語であるからして、要らないとはいえ、少なくともときには主語が現われることは認めても良いことはこの本の筆者にしてもお認めになるであろう。
そのうえでの主張の違いについてはのちの検討の課題としたい。


さて、私の立場は、日本語の構文の形式ではなく、形式と相関関係にある内容から、事態あるいは命題を表すどちらかに分けることができるという主張を含むものだが、(今日の話は文は命題を表すというように一本化しても結論は変わらない)「いらない」と言われる主語は文脈上自明であるので省略されていると考えている。


私の<命題内容>の構成についての考え方は、フレーゲ流に、文に対してあるXを変項とし、残りの部分を述語とする解釈を与えるものである。省略されたとはいえ、意味が通じる為にはこのXを指示する主題または主語を補足して解釈しなければ意味が通じない。命題を表現する文として必要な構成要素がそろわないからである。そして、省略された主題または主語が文章文脈上自明であることについては、長年の読解指導などの実践を通じて自ら経験的に確かめてきたことだ。


先に小生に都合の悪そうな例から見て見よう。


「今学校ではテストをしています。」


このような文では、動作主は明示されていない。主題は「学校では」の「は」によって自明である。主語の有力候補である動作主に当たるものを探してみても、テストを主催している学校側を動作主としているとは言えない。受けている学生を含めた関係者一同であることも否定できない。この文では動作主に関してはテストの主催者側に限らずに関係者一同を文脈から予想させるに留まっている。


これは受け身文で受動者を主語として立てて、動作主についての言及を避けることができるのと同じく、動作主体に言及しないで必要なことを述べる融通のきく構文である。日本語の人称にはフランス語のonのような不定人称詞がないが、こういった文は動作主に関して不定人称詞をとるのと同じ働きをしているようである。ここで同じというのは、言及されていない動作主をあえて補足して解釈を加えるときに不定の人称を表現しているとしてもよいという意味である。


この文が明示しているのは「今」と「学校では」という状況指示語の示す範囲について、「学校では」を主題として、今について、述語を加えて言いたいことを伝えている。


ひょっとすると、「主語は要らない」というより、


「日本語には主題は要る。ただし省略しても良い」


と言った方が一般向けのスローガンとしては日本語文の理解を分かりやすくするかもしれない。


私のように命題として文の意味論を考えて行く立場からは、主語を<抹殺>されてしまっては、手も足も出なくなる。頭が始末されてしまったら、手足の動きが止まるのは当然の理だ。


ちなみに、


「日本語には主題は要る」において


「日本語には」が主題である。またそれは主語ではないタイプである。「主題は」が主語である。


「ただし、省略しても良い」


この文では、実際に主題または主語を省略した。省略された語がなんであるかは文脈上自明であるはず。(1)主題は、同時に主語である場合と主語ではない場合がある。(2)<1>主語は事態文では動作主であるか、受け身文の受動主体である。<2>命題文では命題の中心で、普通は<主部>の位置にある。(やはり、命題文というラベリングは呼称として問題がありますね)


メタレベルとオブジェクトレベルの語彙が同じなので分かりにくいと思います。すみません。この箇所はあまり根を詰めてお読みにならない方がよいかと。


ここまでは今日気がついたことの前提への反論に対する予防措置である。さてここから今日気がついたことを、ようやく書くことができる。


自明な主語または主題を省略できること、もしくは、日本語の文脈依存性が高いこと、このことについて、私は、その主語または主題の省略は、文全体を意味あるものとして了解するには省略された主語または主題を文脈から補って常に解釈することが可能な範囲で行われているはずだという仮説を立てている。


文脈上自明というのは、目の前にあるものや人についての言及であったり、先に主題として提示されていることについて、続けて言及する場合のことである。無論、関連することについて言及する場合も省略可能である。


で、今日気がついたというのは、その仮説に立って、省略された主語または主題が、聞き手にとって文脈から補うことができなかった場合に、


「もう大丈夫になりました。心配しなくていいから」
「え?なにが大丈夫になったの?」(事態文)


「ほら、問題でしょう」
「え?なにが問題なのですか」(命題文、有慓化あり)


話者が省略した主題または主語を聞き返すときにも「が」構文が活躍するのだな、ということ。このことに気がついた。「主語は要らない」の話を持ち出す必要があったのかと言われればなかったかもしれない。ただ思いついた時にこの論への反論を考えていて今日の<aha!>体験というかエウレカ!につながったので、(風呂ではなくトイレだったのだが)平行して書いた。


例文等を見ると、当たり前のしょうもないことを仰々しく書いていると思われるでしょうが、それは私もそう感じておりますので、そのように感じたあなたは正しいだろうと思います。


ただ、しょうもないことも、私にとっては深い意味がある。そんな歌もあった。米国は1954年のヒットナンバー、Little Things Mean a Lotー Kitty Kallen嬢が切々と歌い上げます。俺の生まれる前の歌ですが、むかあ〜しNHK-FMで青木啓さんの番組で聞いたので知ってるんです。





 

物質ー>生命ー>心


木下清一郎著「心の起源」中公新書を大体読み終わった。


物質から生命が生まれ、生命から心が生まれる過程を、科学的な仮説を積み上げながら、記述する試みである。大筋は、特異点の発生によって位相構造的な世界が開かれて、潜在的な展開原理が具体的な活動の場を得るというモデルを、物質レベル、生命レベル、心のレベルそれぞれに当てはめている。


このモデルは、事柄自体の本質に即したものなのか、それとも、認識主体である研究者が避けて通れない内的な基本図式であるのか。はたまた両者のインターフェイスにおける効果としての現れか。


わたしは読者として、この大きなモデルをそのまま受け入れるのではなく、ヒューリスティックな作業仮説として読んだ。むしろその枠組みで解釈され直す、核酸や情報系の位置づけが面白かった。

記憶が心の生まれる場ということをこういう流れの上で主張されると刺激的である。また生物の情報系を神経系だけでなく、化学物質による伝達、免疫系の反応のみっつをあげて、特に「気分」を化学物質による伝達にまでつなげているのは示唆的である。


言語を考える上でも、自然言語が概念と情念の絡まり合った体系として機能していることとも関連がありそうだ。


数年前に買ってようやく読んだ本だが、まだ私には早かった。心の発生まで読んで相当息切れがしてきたので、残りは後で詳しく読むことにして飛ばし読みに切り替えた。


また数年後に繙き、筆者の他の作品への導入にしたい本であった。


物質が生命をもつことにより、そこで初めて死という矛盾が生まれた。死を避けるための情報系の発達が心を生み、自己の死を意識することができる心が生まれた、というストーリーとして読める。ほかにもその気になって読めば、生命の自然史としての興味深いエピソードがいりいろ読み解ける泉のような本ではないかと思う。


さて、そこで本日紹介致しますのはキースジャレット Death and the flower (日本版「生と死の幻想」)
むかし、キースジャレットのリーダーアルバムについて、ジャズ評論家の油井正一先生が、バンドマスターとして統制をとらないので、作品がだらけてしまっていると私からすると過度な酷評を書いておられたのだが、たしか、この作品は油井先生もいつもと違ってキースジャレットの意志が貫かれていてよろしいと評していた初期の代表作のはず。わたしは酷評されたFort Yawuhのほうが好きだった。


演奏時間10分と少し

認識論の教科書「知識の哲学」を読み終わった


戸田山和久著「知識の哲学」(産業図書)を読み終わった。


学部の教養課程や哲学を専攻する学生の入門的な哲学教科書シリーズの中の一冊である。


古典的な哲学の個人の信念と真理の形成を扱うという方針や理論的枠組みや基本概念が、20世紀の主に英米系の言語哲学的アプローチの展開に伴って根底から掘り崩されて行く過程を追い、最終的には、新しい認識論は認知心理学、コンピューター科学、神経科学、社会学科学史学、図書館学などが含まれる学際的な営みとして再構築されるだろうというヴィジョンの提示で終わる。哲学者はそのような社会的なレベルで推移する知識に関する理論形成に参加することになる。筆者はそのことに積極的である。実際に科学者の研究が分野の隣接するエキスパートのチームワークによって実行されている。


最後の章で結局ゼロから認識論を作り直す時点に我々は立っているというのだが、これを教科書として学ぶ学生向けにはそのために古典哲学の読み直しは有益な方法のひとつであることを再度説き直してもよかったのではないだろうか。古典を軽視し過ぎることの予防として。


とはいえ、私はSF小説で描かれるような未来の理想の科学者像および哲学者像を彷彿とさせ、好感を持ったが、一方で,この教科書以前から、身体論などで心理学との対話をベースに研究を進めている現象学的アプローチについて言及がないのは筆者の身を置いている社会的文脈上「仕方がない」ことなのだろうかと忖度せざるを得ない。道具としての認識を主張するのであれば、有用な道具のひとつとして紹介程度はしてもよいのではないかと思った。


以前読んだ中公哲学の歴史11「論理 数学 言語」によると20世紀後半は言語から心へと関心が移っていったそうなのだが、その辺りのことや現象学との交流は、産業図書の同シリーズの「心の哲学」の方を見よ、ということであろうか。


さて、何年か前、何でも学んで自然史における人類の現状の全体像をつかみたいと考えて、自分なりのプログラムをメモしたことがあった。


そのときに対象を大きくみっつの分野に分けてみた。人類にとっての環境を形成している外的対象としての自然=宇宙とその下位システムである地球と生態系、人類が地球上に形成している人間圏システム(by松井孝典、確か2050年ごろに物質交代の限界を見て現状の人間圏システムは崩壊するとのこと)の内部構造、そのインターフェイスの部分のみっつである。もっとも、厳密には、人類はこのインターフェイス部分で直接得られた情報しか確実なものとしては持っていない。世界像は一次情報から構成されたものであり、ホログラム的な意味で鮮明度を欠くような部分的なものである。これまでのところ社会観として思考されてきている人間圏システムに至っては最低限必要な自画像のラフスケッチさえ出来上がっていないのではないだろうか。


対自然環境では、
(1)人類のどの個人をとってみても基本的に持っている生物としての認識能力とコミュニケーション能力それらを行使して得られる知識の蓄積、(ブロック体部分は以下省略)(2)その個人が生まれ落ちた共同体によって言語的に、あるいは非言語的に伝達される生活様式や文化、(3)さらにその共同体が接触する自然環境と隣接する共同体や上位の社会組織との交通


対人間圏システムでは、
(重複するが)
(3)そのミニマムな共同体が接触する自然環境と隣接する共同体や上位の社会組織との交通、(近代以前のミニマムな共同体を超えて作用する国家的統治や宗教的の実践とそのイデオロギー)(4)近代化以降に体系的に獲得され蓄積された自然科学的知識体系やその他の学問各分野および工学的知識(5)近代化以降に導入された国家組織および資本性生産様式とその結果についての研究の蓄積などなど


これらを単純化すると、個人に対しては、対自然と対社会のインターフェイスの窓が開かれている。そして、それぞれが、個人が物心つく頃には、それぞれの窓口と対象に応じた枠組みが所与のものとして作動してしまっている。


個人はそれなくして自己認識すらできない自己と対象との未分化な領域というものが存在する。幼児の心理の発達を考えるならば、意識において、当初は自他の区別は不分明であるものが、日々の生活の繰り返しの中で行動様式と神経系の組織化が進むに連れて区別が進み、やがて自己の身体と置かれている環境との関係を構造的に把握しなおすことにより、自他の区別が明瞭になる。これは物心がついてからではなくそういった過程そのものが物心がつき始めるときに起きる変化なのであろう。
ピアジェによれば、幼児の発達では、他人知覚が客観的思考より早いのは有名なことだそうである。滝浦静雄「言語と身体」P78 なお、そういったことからメルロポンティは相貌知覚に着目した)


話がそれるが、このブログの前項の私の個人的なパラオでの体験は成人した35歳のヒトの意識が覚醒したまま自他の未分化という一次的な変容を被ったことに関する記録としても読めるものである。


私は新しい認識論というのは、発生的にはこういった個人及び社会的意識の形成、機能論的には、それが認識システムとして安定してからの外的対象と内的表象の関連を扱い、記述的したり、仮設を立てたりするものだろうと思う。


そういう観点から整理しなおすと、
個人レベルのヒトの認識能力
(1)生物としてのヒトの認識能力
   ここでもすでに親子関係などの集団による生活が前提であろ
   う。以下同文。
(2)(1)と平行しての、シンボルによる(1)の緻密化
(3)ミニマルな共同体的文化の伝達と学習

(1)〜(3)は実際には絡まり合って作動しているが研究の方法や対象としてはいったん分けた方がよいだろう。その後に統合してみたり整合性を吟味する。そういうのが哲学者の役割にもなろう。
「宇宙船ビーグル号」のジャーナリストの役割。


社会的レベルの個人としてのヒトの認識能力についても、同様の相似的な整理が可能であると思われる。


ところで、学際的な研究の導きの糸として、パタン認識についての、それが<類の形成は、論理的には多様な可能性がある中で、生きる事の有用性から選択されるという帰納の過程である>ことが重要であるかもしれない。脳にとっては自動的で、ある程度不可逆な過程でもあると考えられる。


これらを既存の学問分野との対応を考えるならば、
心理学(意識の直接の記述としての現象学的心理学と、実験的心理学の照合も必要ではないだろうか)
言語学(論理学、記号学認知言語学、言語人類学など)


科学的研究の言語である論理学と数学
生活意識の心理学においても研究者が共通の基盤としてもつべき古典物理学的な時間空間の記述方法としての数学も要請されるかもしれない。


ヒトの素朴な認識能力に基づく日常生活の範囲内での知識体系と高度に複雑化した人間圏のシステムの形成から運用、(またはその生態系との調和を欠く暴走まで)を可能にした情報の蓄積、すなわち科学的認識とその技術的応用の扱いはいかにすべきであろうか。そこに、価値の形成や歴史認識や異文化の了解などはどうか変わるのであろうか。これは、パターン認識がこういった高度な知識体系を生み出した後、有用性の足枷を離れたことに着目でべきだろうという予感がある。本稿は、基礎的な部分についてのメモで終わる。


自己組織化というキーワードは、できあがった所与のシステムの記述にととどまるのか、あるいは、新たな望ましかるべきシステムの構築にも威力を発揮するものであろうか。


さてそれでは、Dick Lee の異文化間交流ソングをお楽しみください。
(これを書きながら聞いていたのはDick LeeのPeace Life Loveというアルバムでしたが、youtubeにはなかった)

ある特別な瞬間の記録


パラオ滞在三日目に我々日本からの訪問者4名は泊めてもらっている日本語学校学生の二人とその友人たちのピクニックに招かれたのであった。もっともピクニックと言っても、スピードボートで人の住んでいない島へ向うという豪毅なものだ。


パラオの空は不思議な薄い紫に見えた。日本で見慣れたのとは違う空の色は自然らしくなく、到着直後に空を見上げたときからから始まり、上を見上げる度に不安になった。光が強すぎて自分の眼がおかしくなったように感じたからだろうか。幼児の頃屋外に出る度あまりの眩しさにしばらく目を開けるのが困難で歩くのもままならなかったときの感覚が甦るのだった。また同時に天蓋の向こうの暗黒の宇宙が透けているかのような連想が生じもした。


だが、どこまでも続く海のエメラルドグリーンが、それにマッシュルームの形をして点々と現われる丸く緑に覆われた島々が、その根本を波に削られた岩肌が、やはりここは生命の充満する自然のど真ん中、地球の中でも一等むせかえるような生き物の息吹と輝きに満ちた場所であることに違いはないのだと私に告げてくれていた。


私たちと御馳走と飲み物を乗せたスピードボートは波に合わせて鼓動のようなビートを刻みながら目的地へ迫って行った。道中の細々とした小さな出来事の一つ一つは、改めて思い出すことにしよう。今日ここに書く内容は私のこうむった意識の変容についての回想に的を絞りたい。


二時間ほどで島に着いた。その頃はもう人は住んでいなかったが、私たちのホストの一人はそこで祖母と暮らしていたこともあるという。岸の側には50メートルぐらい奥まった林の手前に小さな住居が残っていた。その前の空き地の雨ざらしのテーブルの周りで食事の準備にみんなが取りかかる中、私は失礼して道中のビールの酔いを醒ますために、一人で海に向って砂浜に座り込んだのだった。そのときの私はこの上ないほどリラックスしていた。誰かが鳴らし始めたカセットデッキの音楽はパラオのオリジナルのポップソングだった。海のたゆたうリズムから生まれたようなゆるゆるした波のような調べ。


太陽から直接降り注ぐ光と熱に包まれていた。自分一人ではなくて、そこに生きている植物たち、背の高いのや低いのや、どこにいるのやら分からないがさえずりや羽音や木の葉の動きなどで存在をほのめかす小鳥たちや虫たち、ひょっとすると小動物たちもそこにいただろう。そういった生き物らといっしょに陽の光を浴びる喜び。存在の歌を聴いて私も既に歌っていた。昔から、生まれたときから、いや、その前からも、ずっとその歌を歌っていた。そのことに気がついた。右から左へとそよそよと風が吹いていた。極めて細かい霧がときどき降り掛かってきた。


視野にあるのは、眼の前のミニチュアのような微かな虹と水平線に分けられた空と海とじわじわ流れる雲。大きな世界がその全部が空と海と雲だけになってしまったかのようにしか見えないのだ。私はというと、胡座を組んで世界の中に溶け込んで行く感覚に、全身を包まれていて、そのときのなんとも言えない気持ちのよさ。同時に私のからだの中に閉じ込められていた心も外へ向って溶け出して行った。


わたしはひろがった。


わたしのこころもからだも、目の前の広がり全部とひとつのものということが直接はっきりと分かるようになった。
同時に、この世界の果てから果てまで、宇宙のひろがりの全部の始まりから終わりまで、この暖かく穏やかなぬくもりに満ちていることを知った。


その時の「今」は永い永い終わりから始めまでとすべてのありとあるものを包んでいた。


言葉はひとかけらも残らず消え失せていて、そのおかげでわたしの「今」は無限のような何かとふれ合い、ひとつになり、分かり合った。


ナニモ心配スルコトハナイ。ミンナスベテガ生キテイル。


対話の内容をこの今に言葉で翻訳すると、ただそのことだけが私に伝えられたメッセージだった。それが言葉で言う「愛」の意味かもしれないと後で思った。「生」も「死」も、個体にとってさえ、本質的にはちょっとした変化でしかない。大きななにかからしばらく外へ出てまたそこへ帰るだけのことに過ぎないのだから。その大きなもの自体もそんなことを繰り返している個体たちの集まりに過ぎないのだから。


この最中にわたしは「それ」をただ感じただけである。眼をあけたまま、目の前の空と海を眺めながら、「それ」を感じたのだった。途方もない幸せを感じた。なにせ、自分と自分以外のすべてがひとつになって幸せであることそのものを実感するという体験だったのだ。日常の尺度で測れば、私が「それ」を感じていた時間は数分ぐらいだった。1分ぐらいかもしれない。5分以上は経っていなかったと思う。


やがて「それ」は終わった。
ひろがっていたわたしは、またゆっくり元のわたしに戻った。その変化の始まりと終わりにはまったく境目はなかった。しばらくぼんやりそのままの姿勢でいた。見事な景色はそのままだった。遠くのほうで空と海がつながって水平線が横一文字に見えていた。


大きな何者かによって与えられた贈り物を反芻しながら、その景色をまだしばらく見ていた。さらに数分経過して、立ち上がり、子どもの頃から信じたいと思っていて信じられなかったことはやっぱり本当だったんだと確信しつつ、私はみんなのところへ歩いて行った。


十数年前の夏休みのある日のことだった。


ではパラオの音楽と美しい景色をお楽しみください。


Diktionary: Dedication { Palau Music }