サックスのレッスンを始めました
今日はプロの先生のレッスンを受けました。レッスンを受けるのは、およそ7年ぶりです。39歳のときにボーナスの一部を割いて台湾製のアルトサックスを買ったときに、その楽器店のヤマハポピュラーミュージックスクールで習ったのでした。一年間で1冊目の教則本を終えたので、一応全部の音が出せるようになっていました。(今は運指を忘れているキーも少しある。高い音だからあんまり使わないけれど←こんなこっちゃだめですが)
ぼくは中学生の頃からジャズを聴き始めたのですが、ほぼその頃からあのソプラノリコーダーでアドリブと称して、好き勝手に、ときにジャズっぽく、ときにビートルズナンバーやら、吹いており、高校生ぐらいのときには、自己満足の世界ですが、自分なりのあるスタイルを確立して、「ときどきの気持をある程度は表現できる」ぐらいにはなっていたのです。文化祭のとき、たまたま勝手に私が吹いているのを聞いた東京芸大のピアノ(だと思う)にやがていくことになるM君というクラスメートに「お前には、黒人の血いが流れている」と言わしめたことが唯一の私の音楽人生の誇りであります。ほかは一人でずっとうちで楽しんでおりました。
平行してフルートを高校のとき習ってはいました。フルートでは、イタリア民謡サンタルチア(変奏あり)が吹けます。
大学に入ったときにジャズ研にも見学に行ったのですが、他のやりたい事を優先して入りませんでした。
その後、リスナーとしてもほとんどジャズは聴かなくなりました。空いた時間は、小説修行、読書、映画に時間を費やして80年代を過ごしました。90年代になってから、定職についたのですが、これが田舎の日本語学校で、孤独を紛らわせるためにサンディー、ディックリー、久保田麻琴などをよく聞くようになりました。(カラオケには入ってない人たちです)インストルメンタルではなく歌ものなので、これらを聞いていっしょに歌っていたので、少し歌が歌えるようにもなりました。それから豊田勇三さんのステージにも初めて触れました。
それが、39歳になって、思うところありまして、サックスを買いました。が、学校を辞めて小説の新人賞に応募したあと
結果が出なかったのちには、なかなか生活が安定させられず、サックスどころではなかったのですが、このたび、不安定は相変わらずですが、逆に、いざとなったらストリートでサックスを吹いて小遣い銭の足しにでもせんければならんような状態に追い込まれるのを見越して、ちょっとでも銭の取れる演奏家を目指し、真面目に取り組む事にした次第です。また、あわよくば自主制作のCDを出して、これがひょんなことから大ヒット、印税生活に突入!などということも狙っています。
実はもう、なんと数曲オリジナルナンバーがあるのです。マキシシングルなら一枚できる分量です。アドリブを延々やれば一枚分70分、600メガバイトぐらいすぐ埋まります。
1曲目)際物狙いの「ハルマゲドン」
しかし、この曲は、一度聞いたら耳について離れないという特性があります。
また、ブレスなしのループになっているので、歌い続けると「死にます」。(でも循環呼吸法を身につければOK)
2曲目)「どうして?」ボサノバです。
友達の結婚式でやりました。都会的センスの軽い曲に、歌詞は現代国際社会の矛盾を激しくつく内容になっています。(もちろん式では歌詞を変えました)
3曲目)「けむーり」Quemourit アフリカ風のリフナンバーです。
この曲でようやく私のサックスによるアドリブが炸裂します。
タモリあんどうちあげーずの名曲「そばや」に匹敵する、みんなで盛り上がれる楽しいナンバーに仕上がっています。
4曲目)最後にオリジナルではありませんが、パラオのポピュラーソング「komoyogeru」というゆったり波にたゆたう感じ
の、聞いた人はα波が出まくってしまう曲。著作権はどうなるんじゃろやらほい。
5曲目)今思いついたのですが、従ってこの曲だけこれから作らなければなりませんが、「日本語教師ブルース」
以上、競演ミュージシャン求む!であります。
さて目標はいつも超高めに設定する(そしていつの間にやらまた別の違う事に取り組んでいる自分を発見して驚く)私ですが、今回は「継続は力なり」を信じて、やめないことだけ決めれば、必ずや成功を手にすることができるはずであります。
さらに成功をかくじつなものにするために、翻って現状を確認しておくのも大切です。
私の今の、ジャズアルトサックスプレイヤーとしての蓄積とこれからの課題を、ここに公開しておきましょう。
蓄積の部
1)当時大学生の兄が(私が中学生の頃から)ジャズを聴いていたので、感受性の強い時期にジャズサックスの大御所のアルバムをいろいろ聴いた。特にパーカー、コルトレーン。サックス以外の名盤、珍版も。
2)ジャズ喫茶兼パブ「トップシンバル」でバイトしてさらにいっぱい名演を聞いた。(ただしこのとき誰がどんな演奏をしていたのかの記憶はない。だってお皿の片付けと洗い物でいそがしかったんだもん)
3)さらに幼児期にさかのぼると長屋の大家さんが、その当時珍しかったステレオを購入した際に3歳の私を音楽鑑賞のお供に膝に乗せて聞いてくれたので、クラシックも(本能的直感レベルでは)ばっちり柔らか耳を通して我が音楽脳に刻み込まれている。
4)ジャズボーカリスととしては、英語の発音がすこぶるよい。むしろ良すぎるのでいかにくずすかがこれからの課題。
5)上にも書いたが、ソプラノリコーダーなら、たいがいの曲は耳で聞いて、再演できる。さらにオリジナリティー溢れるいろいろなスタイルの演奏もできる。そのスタイルとは、ブルース、デキシーランド、ビバップ、ファンキー、ファンク、マイルスの初期、中期、好機でもあった後期、コルトレーンの中期、後期(さすがにコルトレーンの初期風は難しい)。たぶんいわゆる新古典派的な人のやっていた/いる?洗練され、かつ技巧的なの以外は・・・
・・・自分一人なら、できる! だれかと合わせなさいと言われたらムリ。
だからあ、習い始めた訳ですよ、奥さん。わあってくらはい。
課題の部
1)ぱっと聞いて、そのフレーズが上昇か下降かわからないときがある。
2)コード、コード進行などがあって、アドリブに必須の約束事であるのは知っているが・・・
*キーボードも数年前から触っており、なんとなくぼんやり明かりが見えてきてはいる。
ツーファイヴももうすぐわかるはずです。今日のレッスンで出た課題が、Dm7 G7 C7 C7 の
スケールとアドリブなんですわ。まさにここから始まる、のでありましょうなあ。
I'm beginning to see the light.
3)ポジショニング(今日、いっぱい修正点を教えていただいた)など
リードの付け方ですが、まっすぐかつ押さえたときに一ミリ以下程度黒いプラスティックが見えるようにすること。
リードを止める金具は線に合わせること
歯が当たる場所はもっと奥(私は浅過ぎたんである)
チューニングをする事(していなかったんである)
で、もっと音程を低くする(高過ぎたのです。それも、かなりだったようです)。
支え方、両親指で前方に押すようにして、体から離す。そして、顔が正面に向いてまっすぐ息を吹く感じにする。
(もう、ちょっと言われた通りではなくなっているが、結論としてこうなっていた。体で覚えたつ、も、り)
左手の指がキーから離れたときに浮かし過ぎ。早いフレーズが吹けません。この癖はすぐ治らないので、
徐々に直す事にしました。
(右手の筋力を鍛える必要あり。これまで、体に当てて支えていた分)
これだけ直したら、音がよくでるわでるわ。息を無駄遣いしていたのです。全体にこもった音になっていたのです。
それから先生に楽器点検のため吹いていただいたら、低音部の調整が必要とのこと、
早速、心斎橋三木楽器で見てもらいました所、かなりヤバい事が判明した。オーバーホール6万円は無理なので、
半額で激ヤバ部分だけやってもらうことにした。今は春休みで、学生さんの楽器の修理で忙しいそうだ。ぼくは休み
明けに預ける事にした。
という訳で
4)楽器のメンテナンス
今オリンパス製のICレコーダーも自分でぶっ壊してメンテナンスに行ってます。なんてこったい。
5)先生に書いてもらったスケール譜、アドリブ譜を忘れず持ち帰る事。
(今日は忘れてしまったのである。)
ここにこういうの書いたのは、セッションやってくれる奇特な人に読んでもらって、それでもいいなら、話しが早いと思っての事であります。ポップス、ラテン、アフリカン、ヒップホップなんでも、入れてくれるならやらせていただきます。どうぞよろしゅうに。
習い始めるきっかけになった記事に書いたハンバーガー屋さんは「YOKOJI Hamberger」(靭公園東)です。
http://www.yokoji-hamburger.com/index.html 奮発して、千円のを食べてみました。ビーフに納得。旨かった。
リンク
ジャズ&カレーの店「ブルーモンク」(本町)ここが私のサックス教室になったわけです。
http://www.blue-monk.net/
入江美香先生のサイト 私の師匠です。不肖の弟子とならぬよう、精進したいと思いますです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mika-irie/
かつての私のジャズ修行の場「トップシンバル」(天王寺)
http://www4.ocn.ne.jp/%7Etcymbal/index2.html